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【米国】「1944年に尋問しても、自分たちは単なる売春婦であって強制連行されてないと証言した」…慰安婦問題で異色経歴の援軍登場
- 357 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/11/06(木) 14:33:08.97 ID:Yd47wWKP0.net
- >>286
そのリンク先の資料によると
>ミッチナでは慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋(普通は学校の校舎)に宿泊していた。
>それぞれの慰安婦は、そこで寝起きし、業を営んだ。彼女たちは、日本軍から一定の食料を買っていた。
>ビルマでの彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。
>食料・物資の配給量は多くなかったが、欲しい物品を購入するお金はたっぷりもらっていたので、彼女たちの暮らし向きはよかった。
>彼女たちは、故郷から慰問袋をもらった兵士がくれるいろいろな贈り物に加えて、それを補う衣類、靴、紙巻きタバコ、化粧品を買うことができた。
>彼女たちは、ビルマ滞在中、将兵と一緒にスポーツ行事に参加して楽しく過ごし、
>また、ピクニック、演奏会、夕食会に出席した。彼女たちは蓄音機をもっていたし、都会では買い物に出かけることが許された。
>兵士たちは、慰安所が混んでいるとしばしば不満を訴えた。
>規定時間外利用については、軍がきわめて厳しい態度をとっていたので、多くの場合、彼らは用を足さずに引き揚げなければならなかった。
>1943年の後期に、軍は、借金を返済し終わった特定の慰安婦には帰国を認める胸の指示を出した。
>その結果、一部の慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。
>日本軍の正規の軍医が慰安所を週に一度訪れたが、罹患していると認められた慰安婦はすべて処置を施され、
>隔離されたのち、最終的には病院に送られた。
まさに奴隷のような生活だったようだね
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