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【産経抄】パラオに語り継がれる日本軍の戦い

1 :◆CHURa/Os2M@ちゅら猫φ ★:2014/09/18(木) 12:51:10.49 ID:???
★【産経抄】パラオに語り継がれる日本軍の戦い 9月18日
2014.9.18 06:53

日本列島の真南約3200キロに位置するパラオ共和国は、美しいサンゴ礁に恵まれた、
ダイバーにとっての「楽園」である。青地を背景に満月が描かれた国旗は、日の丸を参考に
したとの説があるほど、親日的な国柄でも知られる。

▼今年8月、2つのテレビ局が戦争の特別番組で、パラオのペリリュー島を取り上げていた。
約4万2千人の米軍が上陸したのは、昭和19年9月だった。中川州男(くにお)大佐率いる
約1万2千人の日本軍が、迎え撃つ。島民は別の島に退避していた。

▼日本軍はそれまでの万歳突撃の戦法を改め、持久戦に持ち込み、圧倒的な戦力を誇る米軍に
大打撃を与えた。アメリカ太平洋艦隊司令長官ニミッツも驚嘆したその戦いぶりは、
約3カ月後の「硫黄島の戦い」にも引き継がれる。

▼ただし、日本兵の生還者があまりにも少なく、語られる機会がほとんどなかったことから、
「忘れられた戦場」となってきた。しかし、天皇、皇后両陛下は長年、故郷を遠く離れた南の島で
犠牲になった人々に、お気持ちを向けられてきた。平成17年6月には、米自治領サイパンを訪ね、
「バンザイクリフ」で黙祷(もくとう)をささげられた。その際にも検討されたパラオへの
ご慰霊の旅が、戦後70年となる来年の4月にも実現しそうだ。

▼ちょうど日本では、花見の季節である。中川大佐が、日本軍の玉砕を伝えた最後の暗号電文は、
「サクラ、サクラ」だった。現地を訪れたジャーナリストの井上和彦さんによると、
島民にとって、日本軍は「英雄」だった。

▼彼らの勇気と敢闘を称賛する「ペリリュー島の桜を讃(たた)える歌」まで存在するそうだ
(『日本が戦ってくれて感謝しています』)。両陛下が、そのメロディーを耳にされる機会もあるのだろうか。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/140918/imp14091806530002-n1.htm
関連スレ
【皇室】戦後70年にあたる来年、両陛下パラオ訪問へ ペリリュー島へは海保のヘリや巡視艇を使う方法を検討
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1410876860/

2 :名無しさん@13周年:2014/09/18(木) 16:33:36.68 ID:5IFGEQ4Ks
島の人たちが日本軍と一緒に戦おうとしたけど日本軍が押しとどめて戦い、
島の人を守って玉砕したのはここだっけ?

3 :名無しさん@13周年:2014/09/18(木) 20:47:22.17 ID:qZye3LAQM
昭和18(1943)年の時点で、ペリリュー島には、899名のパラオの村人がいました。
刻一刻と迫る米軍。

村人たちは、白人統治の時代を知っています。
そして日本統治の時代も、身をもって経験しています。

日本兵と仲良くなって、日本の歌を一緒に歌っていた村人は、仲間たちと話し合ったそうです。
そして彼らは、大人も子供も、一緒になって日本軍とともに戦おうと決めます。
ちなみにパラオは、こうした議会には、村人が全員参加します。
そして誰かひとりでも反対者がいると、全員が了承するまで何日でも、議場に籠り続けて、みんなの意思を固める。
この習慣は、いまでもなお続くパラオの人々の伝統です。

全員一致で、日本軍とともに戦うと決めた彼らは、代表数人とともに、日本の守備隊長である中川州男(なかがわくにお)大佐のもとを訪れます。
平素、温厚な中川隊長なら、自分たちの頼み・・・一緒に戦う・・・を聞いてくれるに違いない。
そして中川隊長に、「自分たちも一緒に戦わせてほしい」と申し出ます。
彼らの訴えをじっと黙って聞いていた中川隊長は、ひとりひとりの目をじっと見つめると、瞬間、驚くような大声をあげた。

「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるかっ!」

烈迫の気合です。
村人たちは、ただ茫然とするほかなかった。
驚いた。
日本人は仲間だと信じていたのに、
・・・みせかけだったのか。。。。
村人たちは、日本人に裏切られた思いで、みんな悔し涙を流します。

いよいよ日本軍が用意した船で、パラオ本島に向かって島を去る日がやってきます。
港には、日本兵はひとりも、見送りに来ない。
村人たちは悄然として船に乗り込んだそうです。
そして、汽笛が鳴る。
船が岸辺を離れた。。。。

次の瞬間、
ペリリュー島に残る日本兵全員が、浜に走り出てきました。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、ちぎれるほどに手を振って彼らを見送った。
そのとき、船上にあった村人たちは、わかったのです。
日本の軍人さん達は、我々村人を戦火に巻き込んではいけないと配慮したのだ、と。
涙が出た。
岸辺に見える日本兵に向かって、村人たちは、号泣しながら、手を振った。
誰もが泣いた。ちぎれるほどに手を振った。

続きは↓
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