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【社会】「シャブはやるな。やったらやめられない」…覚醒剤依存、家族の経験演じる、「人間を化け物にする」脳裏に焼き付けて★2

97 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/09/02(火) 09:28:41.11 ID:dI7pF3FU0.net
「 シャブ! -知られざる犯罪地下帝国の生態- 」
 趙甲済著 黄民基訳 1991年 JICC出版局

( 著者の趙甲済氏は韓国の新聞記者であった )1970年代、釜山で警察詰めの
記者生活を送りながら、私は、シャブ( 覚せい剤 )がもたらす途方もない
利ザヤに目がくらみ、灯火に飛び込んでくる虫のように密造・密輸に群がる
数多くの犯罪者たちと出会い、興味を抱くようになった。そして、日本の
組織暴力団が背後勢力としてからみ、国際的な規模と機動性をもったシャブ犯罪の
取材に興味をもちながら取り組んでみて、初めて問題の深刻さに気づかされた。

私は1984年1月、シャブ問題を取材するため日本へ出向いた。当時、
日本で流れているシャブの大部分は韓国から密輸入されたものだった。
日本の警察はシャブ犯罪を最大の社会問題として考え、その対策に総力を
傾けていた。わずか数十名の専従員をもって、数千人のシャブ犯罪者たちを
追いながら、泥沼にはまりこみ、犯罪者たちの誘惑に乗ってもがき苦しんだり
している韓国の捜査の実情はあまりにも安易だった。当時、韓国の政府や
マスコミは、シャブ問題を「 対岸の火事 」を見物するように見ていた。
数百万人にものぼる日本の常習者たちが常用しているのは、ほとんど韓国で
作られたシャブだったが、韓国では、常用者が少なく、日本への密輸出で
多額の外貨を稼いでいるのではないかという安堵感が広がっていた。当時の
韓国のシャブ対策はあまりにも心もとなかったのである。シャブ事件の
被告人の弁護を担当して「 シャブ密造者は外貨を稼いでくる愛国者だ 」
と語る弁護士さえもいた時代である。

70年代の韓国社会でシャブ密造・密売が巨大な“犯罪産業”に成長した
背景は何だったのか?( 中略 )次にシャブ犯罪に対する「 罪の意識の欠如 」
をあげざるを得ない。70年代、釜山で社会部記者としての生活を送った筆者は、
こんな話を大真面目に語る警察官や公務員と多く出会った。「 率直に話そう。
ヒロポンの密輸がなぜ悪いのか?日本の奴らに目いっぱいヒロポンを送りつけ、
奴らみんなヒロポン漬けにすれば胸の内がスッキリするではないか 」「 密輸
といえば、密輸入を思い浮かべるのがわれわれの実情だ。だから、われわれも
密輸出できるものをもっていれば自慢すべきことになるではないか。ハハハ。
ヒロポンだって密輸出して貿易の不均衡を改めなければ 」「 ヒロポン製造者
愛国者論 」を展開する弁護士の例をあげるまでもなく、こうした考えをもった
人々が当時相当いたことは否めない事実である。日本人が50〜60年代、
対馬を対韓密輸基地として幇助・育成したことを思い起こせば、また、
その対韓密輸のもとで育まれた韓国の密輸組織が、今度は逆に日本に向かって
シャブをまき散らすようになった「 ブーメラン現象 」を確認するなら、
そのことを内心、小気味よく感じる人々が現れもしよう。シャブ犯罪に対する
こうした「 民族感情 」が犯罪者と捜査官の行動に相当な影響を及ぼした
可能性がある。この「 民族感情 」は、シャブ犯罪者を庇護する人々の罪悪感を
薄れやすくし、取り締まり自体をを緩慢にさせる要因にもなっているからだ。

コリアン・コネクションの根本を掘り起こすのも今回の取材の重要な目標だった。
田村研究員の背景説明はかなり説得力があった。すなわち、第一次シャブ乱用時代に、
在日韓国人が数多く関係したという事実である。1954年のケースをみれば、
検挙されたシャブ事犯のうち、韓国人は14%( 在日韓国人は日本の人口の
0.5% )だった。密造犯のなかでは55%、密売犯のなかでは21%が
韓国人だった。鄭銀宗ら多くの韓国人密造技術者たちが韓国に逃げ出し、
密造技術を広めた史実は第一章で述べたとおりである。暴力団の世界にも
韓国人は多い。民族差別の問題を刺激するおそれがあるため、詳しいことは
書き控えるが( 中略 )彼らは親戚のある韓国によく行き来することができ、
シャブの密輸ルートを構築するのに有利な立場にいたというのが田村研究員の説明だった。

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