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【大分】宇佐神宮「苦渋の決断だった」 世襲の女性権宮司解雇で会見

442 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/06/01(日) 11:27:33.50 ID:A2ukXyty0.net
>>440
年表から推定するに

公齊氏が「克子を宮司にする」と宣言したら周りは逆らえなかった。

宇佐神宮関係者の間では異論がくすぶっていたが、神職資格を得て即禰宜に任命された克子の仕事ぶりで異論が
増幅していった。しかし公齊氏の生前には抑えられていた。
(公齊氏のカリスマぶりは半端なかったようだ)

公齊氏が死去すると同時に「克子に宮司が務まるか不安」との声が表面化し、克子より21も年長で宇佐大宮司家
出身で宮司になる資格を有する永弘氏が禰宜から権宮司に昇格。宮司の仕事を実質的に始める。
神宮関係者はみな安心し

このままでは宮司になれずに路頭に迷うと焦った克子は法廷闘争に出て最高裁まで争うが敗訴確定。

この辺で神宮関係者は克子の追放止むなしと考え、顧問弁護士の助言で解雇に向けた準備を始める。
解雇を法的に有効にするには準備が肝心だから。

キレた克子は永弘権宮司を傷害罪で告訴するが、不起訴処分で終わる。
傷害罪で告訴したと言うことは医師の診断書を出したと言うこと。半年以上もかけて県警と検察が不起訴処分にしたと
いうことは「傷害事件は克子のデッチ上げ」と捜査当局が判断したということだろうな。
傷害罪の捜査なんて一日で終わる。半年もかからん。

さらにキレた克子は訳分からん労働組合を引き込む。
神宮関係者は呆れ果て、顧問弁護士の助言により神社本庁と連携して克子を解雇。 ←今ここ

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