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【大分】宇佐神宮「苦渋の決断だった」 世襲の女性権宮司解雇で会見

325 :名無しさん@0新周年@\(^o^)/:2014/05/31(土) 23:22:33.38 ID:11872d6J0.net
>>320
就任時期を考慮したら逆さ、というか脱会阻止は結果から出てきた話であって、本件とは直接関係なし
到津公齊宮司→池永宮司の場合は、到津公齊氏が引退後も存命であったこと、彼が長らく宮司をやっていて氏子に影響力があったこと、信頼のおける者を就任させやすかったことから実現

池永宮司→穴井宮司の場合は、池永氏の死後暫く宮司を空席にしていたことからも、到津克子権宮司との間にこれ以上中継ぎを入れないという判断もあったのだと思うのだが、
公齊氏の死去に伴いそれが完全に白紙となり、なおかつこのままだと後継者としては素行が当時から悪かったのであろう克子権宮司になりかねないことから、
本庁陳情→本庁の県トップの暫定就任→永弘禰宜を間髪入れずに権宮司にあげて克子権宮司をそのまま下ろそうという氏子たちの考えがあったのだろうと推測される

克子氏にとって、相手は永弘権宮司だけではなく、大半の、取り巻き以外の氏子たちであったということだ

本庁にとっては、克子氏に子がいないことで遅かれ早かれポスト到津家の後継者を決めねばならない以上、適役としてこれ以上ない永弘氏が推挙されることは願っても無いこと
これまで60年以上世襲家と特に険悪でない関係を作ってきた以上、積極的に宇佐氏を排除する理由などどこにもない、穴井氏の宮司就任は階級制度上本庁にとっては「仕方のないこと」

本庁を氏子が利用して、到津家の働かない後継者を排除する動きが前提にあって、
本庁の狙いとしては、ポスト到津の決定と宇佐神宮の穏健な経営である
脱会云々は、この両者の考えに反発する到津克子氏とその周辺が勝手に言い出したことであって、その阻止は穴井宮司就任とは全く関係の無い流れ
「脱会が原因で宮司“交代”」というのは気多大社の例で、これを引用して神社本庁陰謀論を唱える輩がいるから、勘違いしているのではないだろうか

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