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【政治】 安倍革新政権を断じて「保守と呼べない」根本理由 80年代を境に「別物」になった戦後の保守論壇

1 :擬古牛φ ★:2018/10/13(土) 11:19:17.70 ID:???
★安倍政権を断じて「保守と呼べない」根本理由 80年代を境に「別物」になった戦後の保守論壇

 中島 岳志 : 東京工業大学教授

安倍首相は自らのことを保守だと強調しているが、革新政権と呼んだほうがふさわしい。その理由とは?(写真:共同通信)
安倍政権が憲政史上、最長の政権となる可能性が濃厚になってきた。「保守」を自称する安倍政権だが、はたして、それは本当なのか。
あるいは、歴史修正主義や排外主義的な記事を粗製乱造する雑誌。あれは「保守」系論壇誌なのか。
「本来の保守とは何か」を問う、政治学者・中島岳志氏の著書『保守と大東亜戦争』が話題を呼んでいる。
このベストセラーをもとに、戦前と平成の終わりの日本を比較しながら、議論した。

●安倍政権は革新政権である

――第二次安倍内閣は異例の長期政権となりました。
この間、安倍政権は一般に保守政権と見られ、安倍首相も自らのことを保守だと強調してきました。
しかし、中島さんはこの見方に異議を唱えています。

中島:安倍政権は、保守ではなく、革新政権と呼んだほうがふさわしいのではないでしょうか。

本来の保守主義の人間観と安倍首相の人間観の違いを考えると、そう言わざるをえないのです。
保守主義の系譜をたどると、イギリスの思想家エドマンド・バークがフランス革命を批判したことにさかのぼることができます。
フランス革命は、人間は理性によってユートピア社会を作り上げることができるという思想に基づいていましたが、
バークはこの考えを危険視しました。

人間は道徳的にも能力的にも不完全な存在です。
どんなに優秀な人でも間違いを犯し、誤認を繰り返しますし、嫉妬やエゴイズムからも自由ではいられません。
実際、フランス革命は惨憺たる状況を生みました。

このように、本来の保守主義は人間の理性に対して懐疑的な見方をするのです。
しかし、安倍首相にはこの懐疑主義的な姿勢がありません。
国会での振る舞いを見ても、野党の質問に答えず、答弁時間を潰そうとしているだけです。
安倍首相は自らの考えが絶対に正しいと思い込んでいるのです。
そのように正しさを所有し、反対意見を排斥するのは、革新政権のやることです。

――革新勢力が政権を牛耳るというのは、戦前の日本でも見られたことです。
中島さんは『保守と大東亜戦争』(集英社新書)で、戦前の日本では革新勢力が大きな力を持ち、日本を戦争に導いていったと指摘しています。

中島:日本では1920〜1930年代にかけて天皇主義を掲げる革新勢力が台頭し、次々とテロやクーデター事件を引き起こしました。
安田善次郎暗殺や原敬暗殺、浜口雄幸襲撃、血盟団事件、五・一五事件、二・二六事件などです。これらは昭和維新運動と呼ばれています。

昭和維新運動の目的は「一君万民」社会を実現することでした。
一君万民とは、天皇のもと、すべての国民は一般化され、平等化されるという考え方です。
しかし、現実の社会ではこの理想はまったく実現していませんでした。
当時の日本でも人々は貧困や格差に苦しみ、国民同士の争いが絶えなかったのです。

彼らはその原因を「君側の奸」に見いだします。「君側の奸」とは、「君主のそばに仕える悪臣」という意味です。
具体的に言うと、天皇の大御心を阻害する政治家や官僚、財閥などのことです。
そこで、彼らはこうした要人たちを暗殺しようと考えたのです。

これは非常にラディカルで革新主義的な考え方です。保守にとっては決して容認できるものではありません。
保守が革命のような急進的変化を嫌うのは、ラディカルなものの中に理性への過信を読み取るからです。

しかし、戦前の日本では保守思想があまりにも脆弱だったため、こうした革新勢力の動きを食い止めることができませんでした。
この点を強調しているのが鶴見俊輔です。
鶴見は、もし戦前の日本に本来の保守思想が根づいていれば、保守主義のほうから青島出兵などに反対する声が出てきたはずだ、と述べています。
つまり、保守が戦争を推進したのではなく、保守が弱かったことが戦争を招いたということです。(続く)

東洋経済オンライン https://toyokeizai.net/articles/-/240989

続きは>>2-4

2 :擬古牛φ ★:2018/10/13(土) 11:19:50.80 ID:???
>>1の続き

●戦争を知らない保守論客たちの登場

――しかし、現在の保守論客たちは、戦前の日本や大東亜戦争を肯定的に論じています。この矛盾をどう説明すればいいでしょうか。

中島:それには世代の問題が関係しています。
私が『保守と大東亜戦争』で取り上げた保守論客たちの多くは、大東亜戦争開戦を20歳以上で迎えています。

たとえば、哲学者の田中美知太郎は39歳、文藝春秋の第3代社長で『諸君!』の創設者である池島信平は31歳、
文芸批評家の福田恆存は29歳、のちに第3代防衛大学校長になる猪木正道は27歳、『アーロン収容所』の著者である会田雄次は25歳です。
『「空気」の研究』の著者である山本七平は、20歳を10日後に控えた19歳11カ月でした。

彼らは戦前・戦中の極端な言論統制や、軍隊内における壮絶な暴力、あるいは過酷な戦場を経験しています。
それが戦後の言論活動の土台になっていました。

しかし、彼らが1980年代から1990年代にかけて一線を退くようになると、保守論壇では世代交代が起こります。

次の世代の論客たちは、幼少期から少年・少女期に大東亜戦争を経験した人たちでした。
たとえば、渡部昇一は大東亜戦争開戦当時は11歳、石原慎太郎は9歳、西尾幹二はわずか6歳でした。

もちろん彼らも空襲や疎開は経験していると思います。しかし、戦争を主体的に体験したとは言えません。
大東亜戦争開戦時に10歳前後でしかなかった子供たちが、当時の状況や風潮に対して主体的な認識を持つことなど不可能です。

彼らが大東亜戦争を肯定的に論ずるのは、戦後の歴史教育が関係していると思います。
戦後の左翼的な教育に対する反発から、大東亜戦争を擁護するようになったのでしょう。
つまり、彼らの大東亜戦争に関する議論は戦後になって再構築されたもので、戦争に至るプロセスの実態が反映されていないということです。

――戦後の保守論壇は1980年代を境に変質したということでしょうか。

中島:変質したというよりも、保守とは別物になったと考えたほうがいいと思います。
保守とは異質なものが保守派を名乗るようになったと見るべきです。
実際、猪木正道は、若い世代の保守論客たちが戦前の日本の負の側面を否認することに対して、厳しい批判を加えていました。

先ほども述べたように、保守は人間に対して懐疑的な見方を持っており、大東亜戦争を導いた革新主義とは相容れません。
それゆえ、本来の保守派であれば、大東亜戦争を肯定的に論ずることはそう簡単ではないはずですが、
私が20歳になったころには、歴史修正主義的な言論があふれるようになっていた。

そのことに、疑問をずっと抱いていたのですが、実際に戦中派の保守論客たちがどんな言葉を残していたのか。
今では忘れられつつある彼らの言葉を掘り起こしたのが、新刊『保守と大東亜戦争』です。

続く

3 :擬古牛φ ★:2018/10/13(土) 11:20:34.86 ID:???
>>2の続き

●「保守の不在」を解消するために

――戦前につらい経験をした人たちは、往々にして、戦後になると左翼や共産主義者になりました。
しかし、『保守と大東亜戦争』に出てくる人たちは、戦前の日本のあり方も批判していますが、
同時に戦後の左翼思想や戦後民主主義についても批判的です。

中島:それは彼らが戦前と戦後をコインの表裏とみなし、両者に共通点があると考えていたからです。
たとえば『ビルマの竪琴』の著者として知られる竹山道雄は、戦後の日本に広がった共産主義は戦前の革新主義が姿を変えたものだと考えていました。
竹山は戦後に共産主義の影響を受けて過激化した学生たちに、戦前の二・二六事件の青年将校たちの姿を重ねます。
そして、戦後の日本が戦前と同じ轍を踏まないように、共産主義を徹底して批判したのです。

また、田中美知太郎は、彼自身も戦前から大東亜戦争に批判的だったのですが、戦争反対が絶対的な正義とされた戦後の風潮を嫌っていました。
田中は戦後に「平和」を叫ぶ人間に、戦争中に「国体」を叫んだ人間と同じ心理を見出します。
そのため、これらは両方とも信じることはできないと批判しました。

あるいは猪木正道は、日本が軍国主義に走れば周辺諸国を刺激して孤立を招いてしまうため、
それは避けなければならないとする一方で、非武装中立を掲げる空想的平和主義では
直接・間接の侵略を招くので、こちらも避ける必要があると強調していました。
猪木からすれば、軍国主義が暴走することと空想的平和主義が暴走することは同じくらい危険なことだったということです。

このように大東亜戦争からも戦後の価値観からも距離をとるのが、本来の保守のあり方だと思います。

――安倍政権が革新主義的な振る舞いをする一方で、安倍政権に批判的な人たちも戦後民主主義的な価値観にとらわれているように見えます。いまこそ本来の保守が必要とされています。

中島:これは一般には左派と言われる評論家・鶴見俊輔が述べたことですが、日本では保守主義の流れがきわめて脆弱です。このこと自体が、実は日本の弱さなのです。
もちろん保守的な要素を持つ人たちがいなかったわけではありません。
戦前では福沢諭吉もそうですし、中江兆民もそうです。そこに吉野作造を加えてもいいでしょう。
しかし、イギリスのエドマンド・バークのように、自覚的に保守主義者として振る舞った人はほとんどいませんでした。

また、保守的な要素を持つ人たちがみなバラバラに活動していたことにも問題があります。
竹山道雄と田中美知太郎の間には、思想形成期に強いつながりはありませんでしたし、その他の人たちも似たような状況でした。
そのため、保守という1つの潮流が形成されにくかったのだと思います。

これは今日においても言えることです。現在の日本でも本来の保守はマイノリティです。
そのため、西部邁先生からはよく、日本には自覚的な保守派は10万人くらいしかいない、
だから保守に関する本を1万部売るのは大変だぞ、と言われました。

「保守の不在」を解消することは、安倍政権のような革新勢力が台頭している今日こそ必要とされていることです。
そのためにも、私たちは戦中派の保守論客たちの見解に耳を傾け、保守のありようを見直さなければなりません。
私が『保守と大東亜戦争』を書いたのもそのためです

以上

4 :名無しさん@15周年:2018/10/13(土) 15:29:27.07 ID:rxGOSq/tC
>>1
まあ80年代から革新は「守れ、守れ」ばかり言っているし、
保守は「現状は改革しないといけない」としか言っていないからなww

5 :名無しさん@15周年:2018/10/14(日) 11:27:23.06 ID:kdzeHx/i9
アベのおじいちゃんの岸 信介は当時若手のトップとして
革新官僚と呼ばれたね。
目指したことはナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)に近い。
本来の保守思想なんかと相容れるものではないな。
本物の保守主義者元首相の宮沢さんや大平さんが今のアベ政治をみたら
党を割るくらいの嫌悪感を持つだろうな。
宏池会の後継者の岸田ももっとしっかりせいよ。

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