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【政治】 安倍総理の消防士を火だるまになってもやる官僚の性 霞が関の官僚は「安倍さんのための消防士」を辞めよ

1 :擬古牛φ ★:2018/06/11(月) 08:30:21.72 ID:???
★古賀茂明「安倍総理の消防士を火だるまになってもやる官僚の性」

2018.6.11 07:00

 少し時間が経ってしまったが、5月26日、パリ北部の18区で、マリ出身の移民がある集合住宅の
バルコニーから落ちそうになっていた幼児を、地上から4階までバルコニー伝いによじ登り、命懸けで救ったニュース。

「パリのスパイダーマン」として一躍ヒーローとなったのは、不法滞在していたマリ人、マモウドゥ・ガッサマさんだった。
この行動を見れば、世界中の誰もが称えたくなる。
フランスのマクロン大統領は、直ちにガッサマさんを大統領官邸「エリゼ宮」に招き、勇気を称える勲章を贈った。
ガッサマさんには帰化市民権が与えられるということになった。

 さらに、彼には消防士の職が与えられるという。
この事件の際、ガッサマさんが子供を救出した後に消防車が到着したというから、まさにぴったりの仕事だと思う。粋な計らいだ。

 私がこのニュースを見て感じたのは、「消防士」に対するイメージには、万国共通のものがあるのではないかということだ。

 今回は、ガッサマさんの行動が、まさに消防士に代わるものだったから、マクロン大統領は、
消防士の職を与えようという発想になったのだろうが、実は、その裏には、
「消防士」に対する万国共通の思いがあることが前提になっているような気がする。
それは、彼らに対する深い尊敬と憧れの気持ちだ。

 アメリカの9.11テロ事件の時も、消防士は英雄だった。
多くの消防士が命を落としたが、その活躍にアメリカ国民は感動し、いくつもの映画が作られ、多数の本も出版された。

「消防士」を語る時、共通するのは、「自らの命さえ犠牲にして」「他者のために奉仕する」精神への礼賛だろう。

 そう考えながら、すぐに、今日本で問題となっている「官僚とは」という問いが私の頭に浮かんだ。

 私は、「官僚とはどういう人たちなのか」と聞かれたとき、官僚を辞めた2011年ごろは、
「役人になる時には皆青雲の志を持っているが、さまざまなしがらみで変わっていき、
最後は国民のためでなく組織のために仕事をするようになる」と、官僚をワンパターンにくくって答えてきた。
しかし、その後2年ほど客観的に彼らを観察していると、必ずしもそれは正しくなかったと気付いた。(続く)

dot. https://dot.asahi.com/dot/2018061000018.html

続きは>>2-5

2 :擬古牛φ ★:2018/06/11(月) 08:31:27.24 ID:???
>>1の続き

 そのきっかけになったのが、2013年に相次いだツイッター炎上官僚とブログ炎上官僚の事件だった。

 覚えている方も多いと思うが、2013年 に、総務省から復興庁に出向していたキャリア官僚が、
市民集会に出席した後、「左翼のクソどもから、ひたすら罵声を浴びせられる集会に出席。
(中略)感じるのは相手の知性の欠除に 対する哀れみのみ」などとツイッターに書き込んだことが明るみに出た。
被災者の悲痛な叫びを「左翼のクソどもの罵声」と逆に罵ったのであるが、
これは、決してこの官僚に限ったものではないなと私はすぐに思った。

 また、その直後に、経産省の管理職官僚が、「復興は不要だと正論を言わない政治家は死ねばいいのに」
「(復興増税は)年金支給年齢をとっくに超えたじじぃとばばぁが、既得権益の漁業権をむさぼるため」などと
ブログに書き込んでいたことが明るみに出た。
この官僚は、経産官僚だった私の後輩だったが、周囲の人たちに聞いてみると、こんな話は省内でよくしているという。
「悪いことだし、馬鹿だと思うが、こういう考えの人はよくいるよな」という反応だ。

 どうして彼らがそういう言動に出たのかを考えていくと、私は、あることに思い当たった。
それは、実は官僚と言っても、一つのパターンで説明するのは難しいのではないかということだ。
そして、官僚になる最初の段階から、いろいろなタイプの人間がいるのではないかと考えて、
それをわかりやすく解説するために、5年ほど前に、「官僚の3類型」というものを考えついた。

 これは、話をわかりやすくするための仮説なので、この分類だけが正しいなどと言うつもりは全くないが、
今回のニュースをきっかけに、官僚の在り方を議論する際の参考になると思うので紹介しておきたい。

 まず、分類に当たっては、4つの項目について、それぞれの類型の特色を整理した。
これは、国家公務員だけでなく、地方公務員にも当てはまると言って良いだろう。

 4項目とは、

1. 官僚になる動機
2. 求める報酬
3. 国民、市民からの要望に対する態度
4. 現在の待遇に対する思い

 である。この4つの要素で特色づけた3つの官僚の類型をそれぞれ、

A. 消防士型
B. 中央エリート官僚型
C. 凡人型

 と名付けることにした。

 ここで、最初に「消防士型」という命名をしたことが、まさに前述した、万国共通の思いというものの表れかなと思う。

続く

3 :擬古牛φ ★:2018/06/11(月) 08:32:00.94 ID:???
>>2の続き

 3類型を順に並べながらその特色を挙げてみよう。

A.消防士型(消防士に限るわけではない。デスクワークをしている官僚も同じだ)

1. 市民を守ることで社会に貢献したいから公務員になる。カネや権力や権威のためではない。
2. 普通に生活していければ、それ以上特別な報酬はいらない。
それよりも、自分の仕事に対して「ありがとう」と感謝の気持ちを表してもらえることが一番の喜びであり誇りであると感じる。
3. 市民の要望に対しては、何とか応えようとする。今の仕組みで対応できないから無理ですとは言わない。
予算、法律、条例などを変えてでも実現しようと努力し、上司に対しても直言する。
4. 待遇に対してあまり頓着しない。多くは望まない。

B.中央エリート官僚型(財務官僚などに多い)
1. 自分が一番であることを証明したいので、一番難しいと言われる官僚になる。財務官僚なら最高だ。
小学校から高校まで成績優秀で東大法学部を目指し、その延長で、官僚になって次官を目指すという感覚だ。
2. 自分が一番であること、他の人より優秀だという証しとして、もっとも手っ取り早いのが、ちやほやされることである。
給料はそんなに高くなくても良い。東大の友達には外資系のコンサルティング会社に行く人もたくさんいて、
彼らの方がずっと給料は高いが、そういうものを求めているわけではない。大きな権限を持ち、みんなから頭を下げられるような地位にいることの方がはるかに大事である。
3. 市民からの要望があると、「くだらないことを要求してくるなあ」と迷惑がる。
「日本で一番優秀な俺たち」がいろいろ考えて、良かれと思って「やってやってる(・・・・)のに」、馬鹿な庶民にはそれがわからない。
あいつらはバカだから、説明しても無駄だという感覚。市民の側が強く要求すると、「たかりだ」と逆切れする。
4. 日本一優秀な自分たちが夜中まで働いているのに、今の待遇は全く見合っていないと考える。
すぐに世間からバッシングを受けるし、できの悪い政治家の尻拭いをさせられているという被害者意識も強い。
退職後においしい生活が待っているから何とか釣り合っている、だから天下りは何が何でも守るのが正義にかなう。
天下り廃止なんて、馬鹿な庶民と一部の左翼マスコミが考えるたわ言だ。
天下りを無くせば、俺たちのような立派な人間が官僚にならなくなって、この国は滅亡するぞ! という論理になる。

続く

4 :擬古牛φ ★:2018/06/11(月) 08:32:29.10 ID:???
>>3の続き

C. 凡人型
1. 生涯安定した生活を得るためには公務員が一番だと考えて官僚になる。
犯罪でも犯さない限りクビにはならないし、毎年、着実に昇給し、少しずつ出世できる。
退職後も贅沢を言わなければ、70歳くらいまでは天下りと「わたり」で食いっぱぐれることはない。その安心感を求めて官僚になる。
2. そこそこの給料と退職後の安定した生活保障が最大の報酬である。
3. 難しいことを言われると逃げる。失敗したら?がつくので、とにかく余計なことにはかかわらない。
担当課だと思って話を聞いてもらうと、一通り話したところで、「うちでは対応できないので、他の課を紹介します」と
言われてたらい回しされるという経験をしたことのある人は多いと思うが、それはこういう官僚に当たった場合だ。
もちろん、市民の要請に応えるために、規則を変えて対応しようなどという「危険な」ことは絶対に考えない。
4. 現在の待遇については、できれば、もう少し給料を上げて欲しいと考えるが、それを声高に叫ぶことはない。
ただし、天下りがなくなるなんて絶対に認められない、何のために官僚になったのかわからなくなるじゃないかと考える。

■絶滅危惧種の「消防士型」官僚

 このように3類型を見てくると、誰でも、日本の官僚がみんな消防士型であって欲しいと思うだろう。
こういう人たちばかりになれば、日本は確実に素晴らしい国になるはずだ。
ところが、実際には、消防士型よりも中央エリート官僚型の方が多く、中央エリート官僚型よりも凡人型の方が多いというのが私の実感だ。

「考える時間がなかったので、走って道路を渡り、幼児を助けました」「私はただ登っただけで、神に感謝します。
神が私を助けてくれました。登れば登るほど、もっと高くまで登る勇気が湧いてきたんです。それだけです」とガッサマさんはマクロン大統領に語ったという(BBC)。

 余計なことは考えず、自然と頭と体が市民のために動く。自らの命の心配さえしていなかったかのようにも聞こえる。
これこそ、私たちが官僚に求める理想像ではないか。

 一方、最近の森友学園、加計学園を巡る官僚の行動を見ると、国民が求める理想との落差の大きさに落胆せざるを得ない。
例えば、財務官僚の佐川宣寿前理財局長や経産官僚の柳瀬唯夫元総理秘書官は、どうして本当のことを話さないのだろう。
話しても命を奪われることはないのに、と思う。

 しかし、よく考えると、彼らは彼らなりに命懸けで「他者」のために尽くしているのかもしれない。
その「他者」とは、もちろん、安倍総理である。
安倍総理のために燃え盛る火の中に、まさに命懸けで火消しに向かい、全身火だるまになりながらも、なお安倍総理を守ろうと息絶えるまで働く。
安倍総理にとっては、彼らこそ官僚の鑑。安倍総理のための近衛消防兵というようなものだ。国民栄誉賞を授与したいくらいの気持ちかもしれない。

 日本の危機は、火事に例えれば、まさに、ボヤから本格的な火事になる途上にある。
これから火柱が上がり、放置すれば、全焼になるという状況だ。今ほど、日本のための「消防士」が求められているときはない。

 霞が関の官僚には、「安倍さんのための消防士」を辞めて、「国民のための消防士」になってもらいたい。
そうなれば、彼らはヒーローとなり、「ありがとう」という国民の感謝の言葉で、心が満たされるだろう。
そして、その時こそ、心の底から、「官僚になってよかった」と思えるはずなのだが……。

(文/古賀茂明)

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