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【新潟県知事選】 小泉純一郎と野党の脱原発連合を演出した「角栄の愛弟子」中村喜四郎

1 :擬古牛φ ★:2018/06/02(土) 09:19:45.23 ID:???
★小泉純一郎と野党の脱原発連合を演出した「角栄の愛弟子」 新潟県知事選・深層レポート…常井 健一

6月10日に投開票される新潟県知事選が、ついに選挙戦に突入した。
与野党一騎打ちとなるこの選挙、告示直前の世論調査では2候補がほぼ横一線で並ぶ。
最大の争点は「県内の原発の再稼働問題」というだけに、
両陣営は原発ゼロ運動を展開する小泉純一郎元首相の動向をピリピリしながら見つめる状況だ。
そのさなか、新潟を訪れた小泉元首相と「ある政治家」との間で、知られざる人間ドラマが展開されていた。
恩讐を越え、四半世紀ぶりに握手を交わした2人を結びつけるのは、他でもない地元の英雄・田中角栄。
小泉元首相初の回想録『決断のとき』(集英社新書)を手掛けたノンフィクションライターの常井健一氏が特別リポートする。

●角栄像を見上げながら

5月23日11時48分、小泉純一郎は上越新幹線の浦佐駅に降り立った。
乗降客が10人もいない殺風景なホームには、やわらかな春風が吹き込んできた。
元首相はロマンスグレーのライオンヘアーをなびかせながら、
お付きの者が案内する車寄せの方向ではなく、ロータリーの向こう側にある別の場所に歩を進めた。
「あれが、そうか!?」
指差す先に見えたのは、田中角栄の銅像だった。左手をポケットに突っ込み、雪をかぶった八海山に向かって右手を掲げている。
「ヨッシャ、ヨッシャ」と威勢のいいダミ声が今にも聞こえてきそうな立像を見上げながら、小泉は感慨深げにつぶやいた。

「オレは福田さんの弟子。それが今、角さんの前に立っているんだから、面白いよ」
政治家になる前、角栄にとって「不倶戴天の敵」であった福田赳夫の自宅で玄関番をしていた時期がある。
「角福戦争」として語り継がれている1972年7月の自民党総裁選が終わった翌朝、
角栄に敗れたばかりの福田が飄々とした表情で「上善如水」と揮毫していた姿を、小泉は昨日のことのように覚えている。
当時、29歳だった小泉青年は、その年末にあった衆院選で初当選を果たした。
「田中1強」にも陰りが見え始めた74年10月、ジャーナリストの立花隆と児玉隆也が月刊誌「文藝春秋」に寄せた論文で
「今太閤」を取り巻くカネ≠ニオンナ≠フ問題を暴露した。
すると、福田派一年生議員の小泉は、自民党の全衆院議員が集う代議士会で真っ先に倒閣の狼煙を上げた。

小泉は述懐する。
「代議士会の後、福田派の先輩だった渡海元三郎さんがオレのところにすっ飛んできて、
『なんてこと言うんだ!福田が言わせていると思われるじゃないか!!』と怒られたんだっけ。
あの時、田中角栄を叩いた男(=自分)が後になって総裁選に出たら、その娘(田中真紀子)に応援されて、
どこで演説しても人がいっぱい、交差点で人が動けない。勝っちゃったんだ。
真紀子さんがオレの事務所に来て、『(総裁選に)立って、立って』と迫られて、出た。
女性に『立て』と言われて、男が立たないわけにはいかなかったよ(笑)」
そして、こう続けた。
「人生は全部想定外。敵か味方かは、常に変わる。あれが、いい例だよ」

小泉が今回、角栄のお膝元を訪れたのは、持論の原発ゼロ実現を訴える講演に立つため。
角栄像を見た後に駆けつけた新潟県魚沼市(旧小出町)内のホールは、約1200人の聴衆で埋め尽くされた。
1時間15分に及んだ独演会の最中、元首相はこう吼えた。

「これまで原発反対と言っていたのは革新とか左翼だったが、今は違う。私は保守、自民党総裁やっていたんですよ。
革新じゃないんだ。一緒に行動している中川秀直さんは、自民党幹事長やっていたんだ。
自民党の現役議員にも仲間がいる。原発やめさせるのに、もう、保守も革新もないよ」
そんな調子で続いた小泉節を、最前列でノートにびっしりとメモを取る女性がいた。池田千賀子(57)。
翌24日に告示される新潟県知事選(6月10日投開票)に立憲民主、国民民主、共産など野党5党の推薦を受けて立候補する新潟県議だ。
彼女は、東京電力柏崎刈羽原発の再稼働に慎重な姿勢を知事選でアピールしようとしていた。

小泉の講演中、オレンジ色のスーツを着込んだ彼女に向かって何度もカメラのフラッシュがたかれた。
テレビ局員は、手元のハンディカメラを小泉、池田の順にパンニングさせている。
大手メディアにとっての「今日の主役」は、壇上の元首相ではないことが一目瞭然だった。(続く)
講談社 http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55829

続きは>>2-4

2 :擬古牛φ ★:2018/06/02(土) 09:20:08.19 ID:???
>>1の続き

●マスコミも気づかなかった「キーマン」

池田の隣にはダークスーツの男が座っていた。
80年代の刑事ドラマに出てきそうな風貌の「昭和の二枚目」は、知事候補の女と一緒になって小泉節に何度も頷いていた。

「あの人、誰だっけ?」

取材している報道陣の間からはこんなヒソヒソ声が漏れ聞こえた。
「田中角栄の愛弟子」であり、かつては「小泉の盟友」でもあったそのベテラン衆院議員こそが
「本日のキーマン」なのだが、彼の存在に気づき、翌日の紙面で報じた全国紙は皆無だった。

講演会終了直後、小泉は楽屋で前出の池田と面会する約束をしていた。
旧民進系の菊田真紀子(衆院新潟4区選出)も池田陣営の選対本部長として同席したが、小泉は2人のことをよく知らない。
実際、挨拶を交わしても、会話が続かなかった。3人は狭い小部屋で20人ほどの報道陣に囲まれたまま、キョトンと口を丸くした。

気まずい雰囲気を察した報道陣から、初対面の池田についての印象を尋ねられると、小泉は薄ら笑いを浮かべながらこう答えた。

「候補者だからね、頑張ってもらいたい。私は選挙自体には一切かかわらない。
今、飴舐めているから(笑)」「(今回の講演会は)1年前に決まっていたんだ」

いつになく歯切れが悪く、言外に「やらされ感」を漂わせた小泉。
野党陣営が喉から手が出るほど欲しい「応援する」の一言はなかなか出てこなかった。

それも無理はない。

小泉は、2014年の東京都知事選で自らが全面的に応援した元首相の細川護熙が惨敗して以降、一切の選挙応援を拒んできた。
首相時代の郵政選挙さながら、「原発ゼロ」のワンイシューで民意を問うシナリオを描く小泉からすれば、
多種多様な争点が存在する地方の首長選で特定の候補に肩入れしたくない。
2度目の「土」が付いてしまえば、自らの運動に対する説得力を失いかねないからだ。

報道陣から幾度となく「支援表明」を促されても、小泉はこう語るのがやっとだった。

「新潟には原発があるんだから、ただちに廃炉、やめるべきだよ。そういう候補に当選してもらいたいな」

まるで小泉の記者会見のようになってしまった「重大会談」は、たったの5分で終わった。
それでも、池田陣営を固める野党関係者たちは、告示前日に「元自民党総裁」とがっちり握手する場面を作り込めたことに満足していた。
彼らの思惑通り、朝日新聞が「原発推進論者は当選させない」と見出しを打つなど、小泉と野党との呉越同舟の図式は新聞やテレビで大きく報じられた。

小泉が池田との面会に渋々応じたのは、元自民党幹事長の山ア拓が「仲介」に入ったからだ。
大型連休の直後に池田の出馬意向が明るみに出た頃、「新潟県内で講演するついでに、会ってくれないか」という感じで直接頼まれた。
「原発ゼロを掲げているし、告示前だから、まあ、会うくらいはいいだろう」。そんな考えもあって、小泉は盟友のメンツを守ることにした。

山アと言えば、小泉と同じ2009年9月に政界を引退しているが、
現職時代に率いた派閥「近未来政治研究会」(現・石原派)には今も大きな影響力を及ぼしている。
最近は石破茂に急接近し、9月の自民党総裁選を視野に水面下で動く姿が再三報じられている。

新潟県知事選で自民党と公明党が支持する前海上保安庁次長の花角英世(60)が負ければ、安倍三選に黄色信号が灯る――。
永田町ではこうした見立てが常識になりつつある。
だが、元自民党総裁が「反安倍候補」と握手するという挑発的すぎるシーンは、
さすがに山ア一人でプロデュースされたものではなかった。

実は、山アの背後には本当の仕掛け人がいた。それが前出の「昭和の二枚目」、中村喜四郎である。

続く

3 :擬古牛φ ★:2018/06/02(土) 09:20:29.40 ID:???
>>2の続き

●将来の総理候補

中村喜四郎。この名前を聞いてピンとくる読者は、かなりの政治通に違いない。
議員勤続40年、当選14回。小沢一郎、野田毅に次ぐ衆院でナンバー3の古株である。

その彼が、新潟の地に現れた理由のひとつは、政治の原点が「田中角栄秘書」ということで浅からぬ地縁があったからだ。

参院議員を務めた両親を持つ中村は田中事務所を退所後、27歳の時に故郷の茨城で衆院選に立候補して初当選。
その後、88年に田中派が分裂すると「経世会(竹下派)」結成に参加し、若くして派閥の事務局長となった。
翌89年、40歳で初入閣(宇野内閣)。小沢が自民党幹事長だった頃には総務局長を務め、将来の総理候補と目された。

だが94年、ゼネコン汚職事件に絡み、建設相退任後にあっせん収賄罪で逮捕。
検察の取り調べに完黙を貫き、マスコミの取材も拒み続けてきた。
国会でも本会議場以外で目撃することが難しい中村が、記者との長いやりとりに応じたのは、
新聞、テレビ、雑誌、ラジオ、インターネットを含めても、たったの2回。

手前味噌になるが、4年前に筆者が行った60分間の「単独インタビュー」
(文藝春秋14年8月号「『選挙の神様』角栄が挑んだ史上最大の作戦」に一部掲載)のほかには、
昨年10月に「週刊現代」専属記者の小川匡則による電話取材に答えたのみである。

一方、中村は選挙にはめっぽう強く、逮捕後も無所属でありながら03年の実刑確定まで選挙に勝ち続け、
服役後の05年にあった郵政選挙で見事に復活。角栄直伝のドブ板選挙と「鉄の結束」を誓い合う後援会のおかげで、
筑波山麓の一帯では新宗教さながらの信仰≠集め、初当選から無敗を誇る。

同じ小選挙区には自民党の中堅議員がいるのにもかかわらず、公明党は中村を推薦。
一時は無所属の立場で自民党派閥に「客員会員」として属し、森喜朗が選挙応援に駆けつけたこともある。

小泉は2月に出した回想録『決断のとき』で、中村のことを「日本一選挙に強い男」と絶賛。
知られざる秘話を1ページ半の紙幅を割いて綴っている。
2人は角福戦争では互いにボスの秘書、議員になってからは2大派閥のプリンスどうしとして切磋琢磨したライバルでもあった。

〈じつは(宮澤改造内閣の)組閣のとき、私が建設大臣で、中村喜四郎さんが郵政大臣という線で一度決まりかけた瞬間がありました。
しかし、中村さんは旧田中派で建設族ですから、当然、建設大臣のポストを希望した。
その結果、中村建設大臣、小泉郵政大臣となりました〉(『決断のとき』より引用)

仮定の話に過ぎないが、もし、「小泉建設大臣」「中村郵政大臣」となっていたら、
中村がゼネコン汚職で逮捕されることもなかったし、小泉は郵政民営化を実現できていなかったかもしれない。

●きっかけはYKK

閑話休題。

新潟県知事選を巡り、水面下の連携を見せた小泉純一郎、山ア拓、中村喜四郎。

3人の接点は「YKK」にある。90年前後の竹下派全盛期、非主流派の小泉、山ア、
そして加藤紘一が組んでいた政策ユニットに時々招かれ、「NYKK」を構成していたのが中村。
小泉がいみじくも「友情と打算の二重構造」と称した盟友関係の中でも、主流派にあった中村は羨望の的であった。

あれから四半世紀が過ぎた2018年、政治家としてあまりに対照的な「平成時代」を過ごした2人は、
新潟に向かう前、東京駅の新幹線ホームでばったり再会した。
雑踏の中から中村の姿を見つけた小泉は、人ごみをかき分けるように近づいていったのだ。

「おー、中村さん。久しぶりー」

「これから小泉さんの講演を聴きに行くんです」

「そうかー。あんたのこと、『選挙に一番強い男だ』って本に書いたんだよ」

小泉は人目も憚らず、大声で喜んだ。マスコミの前では強面を貫く中村は、はにかみながら同じ新幹線に乗り込んだ。
列車が走り出した後にも、中村はわざわざ小泉の席に出向き、改めて挨拶をしていた。

続く

4 :擬古牛φ ★:2018/06/02(土) 09:20:51.57 ID:???
>>3の続き

●「平成政治の総決算」

それにしても、なぜ中村は山アを介して、元首相に「応援要請」をしたのだろうか。

「新潟県知事選で野党が勝てば、現政権はもたなくなる」

私の問いかけに、中村はこう短く答えた。マスコミ嫌いの彼が胸の内に秘めている真意を読み解くには、
「週刊現代」による昨年のインタビュー記事がヒントになりそうだ。

「国民目線で、安倍氏のやっていることは許せないといったとき、行動を起こせる人がベテラン国会議員のなかにいないといけない。
私は小沢一郎にも向かっていったし、権力を笠に着て政治を混乱させるような事態には、抵抗していく」
(小川匡則、「『日本一選挙に強い』政治家・中村喜四郎という生き方」)

こう話した後の今年1月、一匹狼を貫いてきた中村は、岡田克也が中心の衆院会派「無所属の会」に入会した。
中村にとって岡田は竹下派時代に可愛がった弟分であり、今でも定期的に食事をするほど昵懇である。
5月に岡田が属する民進党が解党されてからも、中村は従来のように完全無所属に回帰せず、岡田の会派にとどまることを決めた。

今の政界では「終わった男」と見なされている中村。
だが、四半世紀ぶりに表舞台に姿を見せるようになった最近の様子について、彼をよく知る野党議員は期待を込める。

「いよいよ完全復活に向けて、本格的に動き出すのでは」

中村がインタビューで話した通り、現在、安倍に絡む不祥事が続出し、内閣支持率が低迷しているのにもかかわらず、
「行動を起こせる人」は与野党を見ても皆無。唯一、引退した小泉が、雑誌メディアを通じて安倍に物申している。
4月には記者団の前で、安倍三選は「難しいだろうな」とまで踏み込んで発言した。

一方、今年に入ってから原発ゼロ法案の草案を練り、立憲民主党と連携。
共産党委員長・志位和夫のことを行きつけの小料理屋に招き、原発ゼロに向けた共闘を誓うと同時に、
共通の趣味であるクラシック音楽の話題を通じて意気投合した。
4月18日には、前出の山ア、武部勤、二階俊博、小池百合子を同じ店に集め、
「小泉政権同窓会」と称して安倍政権の「今」についても懇談。
秋の総裁選後には、再び同じメンバーで会合を持つことを約束している。

党内野党的な立場を決め込む息子・進次郎の言動はさておき、今の小泉の「ウイング」は途轍もなく広い。
時と場合によって敵と味方が入り乱れた昔の政界を知る中村には、小泉の動きにピンと来たのだろう。
目論見通り、新潟での小泉は、山アを介しての中村の「腹案」を受け入れた。

小泉からすれば、その判断は原発ゼロ運動の延長線上に過ぎなかったが、中村にとってはちょっと意味合いが違いそうだ。
筆者が中村に単独インタビューした時の取材メモを見返すと、「ポスト安倍」の時代を見据えながら、
自らの復権にかける思いを次のように熱っぽく語っていた。

「安倍政権はいずれ行き詰まると思いますが、その時どうするのかと言っても、与党にも野党にも青写真を描ける人は誰もいない。
ひ弱な政治家が右往左往している時代には、もっと大混乱がやってくるでしょう。
私はまだ現在進行形の政治家ですから、そういう時、日本国のために働く場所があれば頑張りたい。そう思っています」

小泉純一郎76歳、中村喜四郎69歳。かつて熾烈な派閥闘争を演じた田中角栄と福田赳夫の愛弟子どうしが長い恩讐を越え、
YKKの古いパイプを通じてにわかに見せた呉越同舟の図式は、与野党の枠を超えた大きな
「安倍包囲網」を形作るまでに発展するのか、それとも時代遅れの亡霊の如く雲散霧消していくのか──。

角栄のお膝元で行われる新潟県知事選の結果が、「平成政治の総決算」につながると言っても過言ではなさそうだ。

(文中敬称略)
以上

5 :名無しさん@15周年:2018/06/02(土) 10:00:58.28 ID:4Y+1FLPtY
大山鳴動しても野党支持率は一割に満たず!

以下は、「森友加計」争論の総括でした
リベラル派は戦後の社会党と共産党時代に逆戻りしています
自民独裁か、マスコミ報道支配か、など羽糞鼻くそでしょう
在日帰化人(朝鮮人ネット)が蝕む日本社会に危機感を持つ日本人
日本の民意は「朝鮮人野党マスコミ」がある限り 安倍政権を選び続けます
モリカケ丼、朝日食堂の調理人「枝野福山辻元」の他に
とんでも板前がいたそうです
愛媛の「中村」は「小沢石破」新進党時代の旧料亭の見習いでした
倒閣モリカケ食中毒は「小沢石破」菌に当たった 朝鮮人が噛んだ反日政局だった
と、SNS保健所が突き止めました

未だ発症していませんが…小泉菌にも要警戒でしょう

★野党とマスコミは「モリ・カケ」を延々とやり続けよ
http://www.kadotaryusho.com/blog/
http://blogos.com/article/300879/

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