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☆森山るりちゃん●CanCam●人気読モ☆

1 :無名モデル:2011/09/30(金) 13:13:42.12 ID:iPjqwHfK.net
◆CanCam10月号にてコンサバ系ブラウス着用にスカート履いて登場の読モとして活躍中の森山るりちゃんについて語りましょう。ミスソフィア候補の2年生!!

〈るりちゃんのHAPPYエピソード〉
  休日の午前中は
ダラダラしないで買物に
    ▼
かわいい服がラスト
一枚で買えてラッキー
     ▼
早起きが楽しい習慣に!

☆ミスソフィアコンテスト2011 EntryNo.04☆森山るりちゃん☆blog☆
ttp://blog.wondernotes.jp/misssophia2011-moriyama/2011/09/29/%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E6%92%AE%E5%BD%B1%EF%BC%81/

432 :無名モデル:2018/04/27(金) 19:55:48.96 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

433 :無名モデル:2018/04/27(金) 19:56:04.13 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

434 :無名モデル:2018/04/27(金) 19:56:19.50 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

435 :無名モデル:2018/04/27(金) 19:56:34.70 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

436 :無名モデル:2018/04/27(金) 19:56:50.08 ID:???.net
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437 :無名モデル:2018/04/27(金) 19:57:05.36 ID:???.net
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438 :無名モデル:2018/04/27(金) 19:57:20.60 ID:???.net
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439 :無名モデル:2018/04/27(金) 19:57:35.98 ID:???.net
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440 :無名モデル:2018/04/27(金) 19:57:51.07 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

441 :無名モデル:2018/04/27(金) 19:58:06.49 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

442 :無名モデル:2018/04/27(金) 19:58:21.79 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

443 :無名モデル:2018/04/27(金) 19:58:37.06 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

444 :無名モデル:2018/04/27(金) 19:58:52.35 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

445 :無名モデル:2018/04/27(金) 19:59:33.83 ID:???.net
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446 :無名モデル:2018/04/27(金) 19:59:49.19 ID:???.net
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449 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:00:35.06 ID:???.net
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450 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:00:50.36 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

451 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:01:05.75 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

452 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:01:20.85 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

453 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:01:36.09 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

454 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:01:51.72 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

455 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:02:30.33 ID:???.net
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456 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:02:45.65 ID:???.net
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457 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:03:01.14 ID:???.net
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458 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:03:16.40 ID:???.net
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459 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:03:31.73 ID:???.net
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460 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:03:47.03 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

461 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:04:02.54 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

462 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:04:17.66 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

463 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:04:33.79 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

464 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:05:17.05 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

465 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:05:51.89 ID:???.net
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466 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:06:07.40 ID:???.net
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467 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:06:22.49 ID:???.net
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468 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:06:37.74 ID:???.net
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469 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:06:52.98 ID:???.net
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470 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:07:08.20 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

471 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:07:23.54 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

472 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:07:39.09 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

473 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:07:54.60 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

474 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:08:09.81 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

475 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:08:40.56 ID:???.net
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476 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:08:55.68 ID:???.net
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477 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:09:11.08 ID:???.net
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478 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:09:26.33 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

479 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:09:41.62 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

480 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:10:20.42 ID:???.net
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481 :無名モデル:2018/04/27(金) 20:13:04.04 ID:???.net
メジャーリーグの表現を借りるなら、4月19日の松坂大輔の敗戦は「タフ・ロス」ということになる。
直訳すれば不運な負け。日本のファンにもすっかり定着したクオリティ・スタート(QS)、
つまり6イニング以上、自責点3以内という好投が報われず、打線に見殺しにされた敗戦を意味する。
もちろん反対語もあり、QSの条件を満たさずに勝利投手となることは「チープ・ウィン」と呼ばれる。
移籍後2試合目の阪神戦(ナゴヤドーム)での松坂は、7イニングを2失点で自責点1。
これまたMLBでの指標ではハイクオリティ・スタート(7イニング以上、自責点2以下)となる。
もっとも、ここに松坂の満足感はない。
「自分のミスからだから、悔しさしかない」と振り返ったように、自責点にならなかった1点は、
不運ではなく松坂自身の失策がからんでいるからだ。
4回、先頭の西岡の平凡なゴロを捕り損ね、グラブトスしたが間に合わなかった。
MLB挑戦前の西武での8年間で、実に7度のゴールデングラブ賞に輝いたフィールディングの名手。
しかも、最終スコアは1-2。
つまり、この1点が結果的には決勝点となったのだから、松坂本人はとても「タフ・ロス」とは思えないだろう。
もちろん、収穫が大いにあった敗戦だったのも間違いない。
最大のプラス材料は123球を投げきり、翌日以降も右肩に異変が起こっていないということだろう。
6回を終わったところで101球。試合前でのメドは100〜110球だから、交代してもおかしくないところだ。
そんなプラス1イニング、22球に至った経緯には、ちょっとした裏話がある。明かしたのは朝倉健太投手コーチだ。
「6回を投げ終え、ベンチに帰ってきた松坂さんに近づこうとしたんです。ところが、僕と目を合わそうとしない。
こちらとしては(故障後は)投げていない領域だったので、確かめる必要がある。
でも、行けるというのなら止める必要はありません。
こちらを見ようとしないということで、思いは伝わりました。だから『行けますか?』ではなく『行きますね』と声をかけたんです」
年齢は松坂が1歳上。野球界のルールとして、こういうケースは互いに敬語を使う。
松坂は「朝倉コーチ」と呼び、朝倉コーチは「松坂さん」と呼ぶ。
近寄ってきた年下の上司(コーチ)が聞きたいことはすぐわかる。目をそらすのが松坂の無言の答えだった。
年上の部下(選手)の言いたいこともすぐわかる。朝倉コーチは瞬時に忖度し、質問から確認へと言葉を変えた。
望んで「行く」と決めた以上、打たれることは許されない。
しかし1死から福留孝介に右前打を浴び、糸原健斗にはストレートの四球を与えてしまう。
セットポジションになると制球が乱れる課題は、この試合でも見られた。
大山悠輔にもカウントを悪くしたが、何とか中飛に打ち取った直後、松坂は下半身に異変を起こしたかのような仕草をした。
ベンチから朝倉コーチとトレーナーがマウンドへ駆け寄ろうとベンチを飛び出したほどだが、両手を挙げて制した。
降板後の説明によると「足がつったような感覚になったが、投げられるんでそのままいった」。
あと1人。この回だけは投げ切らせてやりたい……。
誰もがそう思ったとき、ナゴヤドームに「奇跡」が起こった。
2万6904人。もちろん阪神ファンもいるのだが、黄色のはっぴを着ている彼らさえ、松坂を応援しているように聞こえた。
自然発生の拍手と歓声。「がんばれ」「負けるな」。
中日のベテランが「ああいう声援は聞いたことがなかったですよね」と目を丸くしていた。
松坂の背中が、観客の心に化学変化をもたらしたのだ。
しかし梅野隆太郎に初球を中前に運ばれて2死満塁。
ここで阪神は一気に試合を決めるべく、好投の小野泰己に代えて、上本博紀を送ってきた。
見逃し、ボール、ボール。「松坂が押し出しする姿だけは見たくない」という思いもあったのかもしれない。
再びスタンド全体の力と声が結集した。
応援されている松坂が「最初は何でそうなったのかわからなかった」と言う一体感。
人の心を引きつける人間には、計算や何かをしてもらおうという欲求がない。
たとえば登板2日前。雨天中止となった豊橋市民球場で、こんなシーンがあった。
ある選手の大学時代の先輩で、現在は県内の高校で野球部の監督をしている人物が訪れていた。
聞けば松坂世代。当時の夏の甲子園は第80回記念大会として、出場校が増えただけでなく
第1回から地方大会を欠かさず出場している全国15校の主将も入場行進に参加した。
その監督氏は選ばれし15人の1人だった。
「あの開会式では他の有名選手とは記念撮影できたんですが、松坂さんとはできなかった。
とんでもない人だかりでしたから。20年を経て、ようやく思いがかないました」

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