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経歴が異色の選手

114 :神様仏様名無し様:2020/04/24(金) 22:43:52.74 ID:6MD+PCgx.net
さっき教えてもらって知ったけど市原稔って人
選手として異色というか、選手としては活躍0だったが通訳としてしぶとく生き残ってコーチや球団広報やったりもしてるし、漫画にも出てるw
まさにノムのお陰みたいな人だな。
息子もプロ入りして一応二世選手(通算5安打)


千葉東高校から早稲田大学を経て、1968年のドラフト外で南海ホークスに入団[1]。早稲田大学では野球部に入部するも教員を目指していたことから、学業との両立に困難を感じ退部。
その後、教員試験に失敗したことから南海の入団テストを受験したが、このとき年齢をごまかして受験していたという。

一軍出場は1969年の1試合のみ(守備機会2、失策1)に終わり、1970年に引退[1]。当時の監督だった野村克也から英会話能力を見込まれ、コーチのドン・ブレイザーや外国人選手の通訳として球団に残留した[1]。
その後、通訳だけでなく広報やマネージャーも兼務する。なお、通訳を務めていた頃の活躍が早稲田大学合格と野球部退部、南海へのテスト入団、、通訳転向までの経緯を交えて水島新司の漫画『あぶさん』で描かれており、単行本第8集に収められている。
その中では、唯一の公式戦出場がNHKでの全国テレビ中継が行われた大阪球場での対近鉄戦だったことも含めて、同期だった藤原満による回想という形で描かれている。

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