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1991年のプロ野球 Part.2

455 :神様仏様名無し様:2020/08/23(日) 03:38:07.19 ID:RjTwhBFm.net
「チグハグ」

昭和40年代に巨人が隆盛を極めた頃から、巨人相手に相性の良い投手を“巨人キラー”と言うようになり、古くは大洋・平松政次や中日・星野仙一の
時代から球界の盟主に強い事は一種のステータスとされてきた。そのキラーが特に多く出た91年は、巨人には辛いシーズンだった。元々相性の
良くなかった広島・川口和久に2勝5敗、大洋・野村弘樹には2勝4敗と星を稼がれたが、それ以外で中日の新外国人スコット・アンダーソン(1勝4敗)、
ヤクルト・西村龍次(1勝5敗)、中日・上原晃(1勝3敗)らからも見下ろすように投球されてしまい、対巨人で3勝以上を挙げた投手は9人にも上った。
打線は打率で1分以上、得点で50点強の減少というように力を落とし、盗塁はリーグ最下位という有り様だった。

2億円の新助っ人フィル・ブラッドリーは本塁打と打点で前年のウォーレン・クロマティより上の数字を残したが、チームに溶け込めず性格的にも
パフォーマンスや打撃内容でムードメイク出来るタイプではなかった。機動力の著しい低下は緒方耕一が、故障していた右足の影響で80試合だけの
出場で4盗塁しか出来なかったのが大きかった。そのため二塁手には緒方を含め8人が入れ替わり、一番打者には延べ10人を起用という状態だった。
主砲・原辰徳は86打点でまずまずに見えたが、Aクラス3球団にはトータル.222しか打てなかった。
足を使えなかった巨人だが、他球団にはかなり足を使われた。チーム全体の盗塁阻止率が15.6%で、特に正捕手の村田真一は阻止率が16.2%で
リーグ最低、開幕から11連続許盗塁の後に5月から7月にかけても15連続で盗塁を許した。かつて強肩でレギュラーだった中尾孝義でも11.7%と
散々だった。

6月までは猛スパートもなければ大負けもない状態でなんとか中日とヤクルトの後ろで踏ん張っていたが、7月に広島に抜かれると先頭集団から
離され始め、8月半ばには出番の減った篠塚利夫が記者に「ハッキリとした理由も無いのに使ってもらえない」と漏らす舌禍問題を起こすと9月の5勝
12敗でV消滅どころかBクラスまでも決定的にした。
相撲人気も手伝ったテレビ中継の視聴率やチケット売上の低下で、三年契約最終年だったV2監督・藤田元司の留任すら危ぶまれる事態だったが、
球団が最終戦を残して藤田の契約を一年延長すると発表した。発表内容にはコーチ陣編成と補強についての全権を監督に委ねるとあったが、その
2日後に藤田の信頼する近藤昭仁ヘッドコーチの退団が発表された。藤田の監督生活は最終年の翌92年も含めると、この年を除き全て2位以上の
輝かしい実績、91年は唯一のBクラスでありグラウンドの内外でチグハグな一年だった。オフに健康問題で一度は辞める気でいたがオーナーの
正力亨の説得で翻意、その一方で読売グループの中では人気回復を狙い、たとえ負けても絵になるあの監督への期待が高まってきた向きがあり、
ファンの声も大きくなり始めていた事からもそのチグハグさが窺えた。 (了)

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