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純粋・応用数学(含むガロア理論)6
- 595 :132人目の素数さん:2021/03/26(金) 11:27:31.08 ID:5vJFMCQ+.net
- >>594
つづき
20 世紀の中盤くらいから,集合論は旧来の数学の研究者の視界からほとんど完全に消えてしまったように思える.このことの大きな理由の一つは,集合論が数理論理学を融合する学問として発展することになったことであろう.
集合論は,数学と超数学の間での視点の移動を繰り返しながら議論を進める,という旧来の数学ではほとんど例のない思考の様式を修得してゆくことになり,その研究の対象も,相対的独立性,無矛盾性の強さ (consistency strength)など,理解する上で超数学の視点が不可欠な概念に関連するものに,焦点が向けられるようになってくる.
現代では [Kunen 1980] や,[Jech 2001/2006] をはじめとしてスタンダードな集合論の教科書が整備されているので,数学者にとって,必要なら現代的な集合論は独習が容易であろう,と思われがちであるが,数理論理学と数学の融合という旧来の数学では見られない集合論の立ち位置のため,実際には,これはきわめて難しいことのようである.
日本で山のように出版されている微積の教科書に目を通してみると,現代の数学者の中にも,εδ-論法の理解がかなり怪しい人も含まれていたりすること
が見えてくるが,このことも,前節の最後で述べたような集合論的数学での状況との類似が感じられる.
第1節の初めの方でも既に注意したようにカントルの集合論研究の結果は,「集合論のパラドックス」として知られている見かけ上の矛盾と抵触せず,公理的集合論の枠組みの中に厳密に再現することができるのだが,同じように,ライプニッツの無限小の扱いも,non-standard analysis の枠組みで ε-δ 論法に翻案するよりずっと直訳的に厳密な再構成ができることから,(少なくとも明かな) 矛盾は含まない議論となっていたことが (20 世紀の中葉になって) 確かめられている.
歴史的な発展を経て最終的な公理系として定式化された集合論の公理系を論じるとき,公理をどの体系でどう書き下すか (といってもたとえば ZF や ZFC は無限個の公理を持つので,実際に全部を書き下すことはできないわけなのだが*12)という問題のみに着目されることが多いように思える.しかし,ここで,より重要なのは,この集合論の公理化によって,公理系 (ZFC にしろ,NBGC にしろ) が,“完全な” 推論の体系を持つ形式論理 (一階の述語論理) の上に構築されたことであろう.したがって,この定式化とともに,集合論 (あるいは言葉を変えれば,全数学) で証明できる定理とは何なのかが,はじめて厳密に規定されたことになる.
つづく
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