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【原発】原発情報3990【放射能】

432 :地震雷火事名無し:2017/06/03(土) 21:04:05.00 ID:6IVR72L1.net
 机上の思想 魅力を失う
 たしかに、「生きていくために忙しく働くこと」と「市民として政治に参加すること」との相容れなさは、世界史の基本図式でありつづけてきた。
古代のギリシャ・ローマの市民は、毎日の生活に必要な家事や農業を奴隷や女性に任せ、暇な時間を創出し、広場の民会に出席して、政治の議論に加わった。
それがモデルとなった18世紀の西欧では、財産と教養こそが市民として政治に関わることの条件であった。
「財産」とは、たとえば定期的に収入が入ってくる本国や植民地の農場である。
奉公人を雇って家事一般を切り盛りしてもらい、妻は家族の愛を育むためにあらゆる努力を惜しまず、
夫は農場運営を監督するだけでなく、本や新聞で知識を蓄え、カフェや居酒屋や議会で政治談議に加わる。
時間がなければ天下国家なんて語れない、そんな「原則」みたいなものが世界史の一つの基調であると言ってよいだろう。
 ところが、皇帝や王様から民が主権を勝ち取り、誰もが主権者になると、今度は忙しくて政治に関心をもたなくなる。
夫は月給取りに落ちぶれ、奉公人がいなくなった家庭では妻も忙しくなる。
 景気がいくら良くなっても企業内で溜め込んでしまい、労働者にはお金がまわってこない。
生活に精一杯で、新聞を読む前に寝たい。
誰かが何かをやってくれるという漠然とした「お任せ」の心性がはびこり、いたるところで愚民政治に陥っている。
お任せしたはずの政治家は暴言を吐き教養のなさを露にする。
いま私たちは、愚かな政治家から愚かですねと言われ続けているのも同然なのだが、堪忍袋の緒はワイヤーのように丈夫で切れる気配さえない。
大雑把ではあるが、「忙しさと政治の歴史学」はこのようにまとめられるだろう。
 だから私たちは愚劣な政治を変えられないのだ、という結論を導きたいのではない。
逆に、生活するのに精一杯な人びとこそがついに政治の主体となる時代の風を、いま感じているからである。
なぜなら、その人びとこそが、いま地球規模で展開する政治のしわよせを、肉体で受け止めているからだ。
たとえば、第1次世界大戦による生活の荒廃と飢えの蔓延のなかで、皇帝を玉座から引きずり下ろしたドイツ革命は、
「富裕者はビフテキを食べ、貧しい人にパンをよこさない」政治がおかしいと思った人びとが空腹を抱えてデモに加わったからこそ、成し遂げられたのである。
ひもじさの共感が政治を変えたのだ。
そして、現在の政治もまた、端的にいえば、生命活動に経済活動を邪魔させないことを原則とする地球規模の政治であり、
そのためには、水、電気、交通、大学、保険、医療などの公共性のあるものを民営化するだけでなく、
非正規雇用を増やし、生かさぬように殺さぬように貧困層を確保して、全体の賃金を上げさせず、残業を野放図にする政治のことである。
 だから、生活から切り離された机上の政治思想は魅力を失い、賞味期限も短い。
求められているのは、政治と市場の仮借なさを、肉体全体で味わいつくし疲れ切っている人びとの思想だ。
これらの人びとがかつてのドイツではヒトラーの、今のアメリカではトランプの暴言に変革の匂いを感じ取ったのだが、
彼らもまた生命活動より経済活動を優先させる政治家だった。
歴史の神様は、生活に不自由しない人びとではなく、生活に追われる人びとの政治思想を今、渇望しているように思える。

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