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yutoji

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/21(木) 23:02:54.35 ID:ZzWn9yil.net
http://d.hatena.ne.jp/yutojicom/

2 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/21(木) 23:05:42.24 ID:ZzWn9yil.net
fenix.txt(仮)
作:ゆとじ

 銀の玉が泳いでゆく。震えながら昇りあがり空に消えてゆく。いっさいの静け
さがある。線らしいものをえんえんと引き延ばしていくような静けさになっている。
全身をつつんでいる。手を伸ばし面に触れる。ひとつかみの液体を得る。引き
寄せて目の前で放てば、銀色をした数々の玉が空へと消えてゆく。揺れとその
鏡面を見つめている。すぐに去っては形が失われる。手に残る液体を下から
のぞきこむ。鏡は力から逃れようと揺れ動き手の内に吸い付いている。手を広げる。
かたまりは広がって粒となり、揺れ動く炎天へとのびてゆく。すべてを吸い込む
太陽を見つめる。水色の空の中心にある。まぶしさはゆるんでいる。直視は心に
快感を呼び込んで胸の息が浮かび上がる。あたりを見る。形のある水色の地面が
続いている。ときおりの人物もいる。けれど自分が一人だけこの明るさを受け
取っているという悦びがある。自分のためにすべてが広がって停止をしている。
砂の砕かれるようなか弱い音が耳に響く。それは体に染みいってゆく。なにものかを
細かに削っているような歓びがある。龍を想像する。この世界は夢の中に近い。
心持ちがそう感じている。龍はこのような場所からあらわれるのではないかという
気持ちが生まれる。龍が来るのを願う。

 少年は水面から飛び出した。せみの声が突然はじまる。日光のすみずみを
焦らしていくのがせみの声に浸透していく。辺りのけたたましさを得ながら息を
吸い込み、目の上に邪魔する水を手でこする。少年はプールサイドを見る。父の
薄黒いサングラスが白いチェアーに寝転がり、青いビニールの屋根を見ている。
 おーい!
 少年は父に叫ぶ。辺りにいる他の声々と混じっているように感じられて消える。
お父さーん! 少年は長く伸びるよう望みを声の筒に託し飛ばす。遠く一点の父の
首が持ち上がる。少年は笑っている。お父さんもおいで、銀の玉が見れるでえ 父は
くちびるを横に伸ばし、首を縦にひく。お父さーん! 父はずっとこちらを見ている。
少年は再び水の中にもぐる。また無音、不思議な停止が浮遊している。

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/21(木) 23:07:35.60 ID:ZzWn9yil.net
 少年は腹をのせてプールサイドへ乗り上がる。這って立ち上がる。水の大量が乾いた
コンクリートの上にこぼれ落ちてゆく。色をつけた水滴の乾いて黒さを失いゆきやがて
消えてゆくことを、植え付けられた乾きの固さに、肌の上に感じさせる。後ろに消えていく。
少年は父まで歩いてゆく。青く充満して可笑しさを与えるビニールの天井、明るい影の
元に父はいる。父は少年を見る。
 お父さんも泳ごうや
 父はくちびるを少しだけ横にのばす。平生の無味の上にそれは笑みとして形の浮かび
上がる。父は首がゆっくり左右に振らされる。大きなサングラスの透き通る黒の奥に父の
目は見えない。父は白く丸いテーブルの上にのせられた紙コップへと裸のその手を伸ばす。
コップの中に少しだけ残されているジュース、鮮やかな透明の色をしたメロンジュースが
ある。父は少しだけ近くなる。父はプールを指さす。父は紙コップの白い壁の半分のところに
横から伸ばした指を当てる。ここまで水を入れてきてくれと父の声は言う。水を入れるんと
少年は言う。父はうなずいている。少年はプールへと駆け寄る。しゃがみ込み紙コップを
押す。水が膨らんでメロンジュースの色が薄まる。量を確認したコップが揺らされている。
少年は立ち上がり父の元へ駆け寄る。
 父に渡す少年のコップが模様の穴のたくさんに開いた白いテーブルの上に置かれる。
父のサングラスはそれをのぞきこむ。父はうなずく。飲むんと少年は言う。父の首は左右
に振らされる。

 水の中から顔を突き出す。息を吸い込んで水の中に戻る。目のゆがんでゆく辺りを見る。
地面の低い位置まで体を泳がす。手が突き出され掻き込まれて足が動かされる。低い
位置に体を伸ばしている。ずっと息をしなくて無限に伸びていくようになっている。無限に
広がっている。伸びてゆく。

 首を突き出して流れる水の目をこする。プールサイドの父が見られる。サングラスの父の
紙コップが口に当てられているのを少年に見せている。
 おーい!
 少年は叫ぶ。父は喉を見せコップを上げている。

 少年は父の元に立っている。
 飲んだらあかんで、きちゃないで!少年は言う。飲んでないよと父は言う。さっきぼくプール
の中でおしっこしたで、きちゃないで!少年は言う。父は笑う。あほたれと父は言う。

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/21(木) 23:10:31.91 ID:ZzWn9yil.net
 背後に岩が転がり落ちるような音が鳴る。少年はふりむく。空が混じり合い影を作る雲に
暗くなっている。プールやその周りの全体が暗さに満たされている。少年の体が全体から
圧しを与えられている。縮められる体を内から圧している。少年はプールの向こう側にある
柵の外、木がいくつか生えているところを見る。暗くなった木の緑がのびている。木の横の
空中に無音のまま黄色い色をした棒、真ん中で折れ曲がりはっきりとした形の雷を見る。
少年は目を開き息を吸う。それはいつの間にか消えている。暗さが増している。
 お父さん、かみなりがあったで、あそこ、あの木の横にかみなりがあった
 少年は指をさす。少年は目を凝らし木の横の空気をじっと見つめる。父の顔を見る。雨が
降りそうやな、帰ろうか、と父は言う。

 空気が冷たくなっている。暗い雲は上から下へと重みを与えている。道路の上を少年は
父の後ろに歩いている。道路の上に車がある。車に乗り込む。車はよく知っている匂いを
彼に教える。プール用具の入った透明でビニール製のバッグを少年はひざの上に置く。
面の内側に湿った水滴が白く貼られる。指で押すとつぶれて白が消え中の水着や濡れた
バスタオルが透明となって飛び出す。車のエンジンがかかる。その音は慣れ親しんでいる。
ふやけた手がプールの匂いをする。外が暗さを下ろしている。窓のガラスの上に点が飛び
出す。少年は身を背にぶつけ、のぞきこむ。細かな粒でゆっくりと雨が降り出している。車は
動き出す。窓の外が彼の足を回転させて移動している。少年にはジュースのことが考え
られる。
 なんで、ジュース飲んだん
 少年は言う。飲んでないよと父は言う。ほんとう?少年が言葉から質問を与えられる。
父はうなずく。しばらく黙って車の動きが主となって鈍く。道の面が細かくつぶされていく
音が蒸発している。

 雨がガラスの上を大量に滑ってゆく。黒いゴムが伸びあがり音をこすって雨を拭う。大粒が
弾け飛びガラスは濡れて歪む。ゴムが伸びてゼロになる。歪みは吐き出される。くりかえし
ゴムが伸びる。束の線はひずみに形を生み出して消える。
 お母さんたち、いつ帰ってくるん
 丸く透明となった枠内で歪みと軌跡をくりかえす窓の外、暗い道路の上が大量の雨に
浸されている。わからない、と父は言う。向こう側の車の正面が雨の恒常に光りを与える。
ぶつかり流れている水が全体を通して彼の元へ渡り続ける。

5 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/22(金) 11:58:53.57 ID:bolhuvT9.net
 ごはんを食べていた。丸い電球がテーブルの表面を照らしていた。尻を上下に動かすと
表面にはりついた白い帯が移動してきた。さまざまな皿やコップに料理がさかんな様子で
盛られていた。父と母の体はすべてが大きかった。固そうな腕や顔をして食事をしているのを
下側から見上げているのであった。小さい妹が椅子より低い頭のしずかな音によってご飯を
食べていた。別の場所にある白い台の上に金魚鉢があった。機械から生み出される空気の
泡の揺れ動きと赤い金魚の羽が水の中に泳いでいた。料理の突きだしたテーブルの向こうの
窓の外には木と暗い壁があった。様々な模様となった白いカーテンの細かさは影を含んだり
ほこりを思わせた。母の話があった。黒くもつれた髪の毛のそばに母の口が動いていた。笑む
その鼻や口を少年は下から見上げていた。母の正面に父があった。去年の冬のスキー旅行の
ことであった。楽しかったなあと母は言っていた。今年の夏は海に行こう、数年前行ったときは
妹がまだ小さくて泳げなかった、妹はずっと浜辺で石や貝を集めていた、という話しがなされて
いた。今年の夏は家族四人で海に行こうということを母は父に言っていた。差し出したそれの
返答を待ち受けるようにして母は顔を突き出して父を見ていて待っているのだった。父はまぶた
を控え引きながら黙って口の中の咀嚼を発していた。父の目は料理の上を動いていた。母は
父をずっと見ていた。行かないと父ははしと茶のあいだに言った。二人のあいだの空間に母が
揺れた。なんでなん行こうや、子供が大きくなったら一緒に旅行いったりできひんなるねんでと
母が言った。動かし続ける口のあいだにすぐ短く父は興味がないと言った。それは浮かび
上がって母が目を見開いた。やがてそれは静かに沈んでいった。母は沈黙のままはしを持ち
上げて白い飯の上にすべりこませた。それは持ち上げられた。茶碗と母の口の間で白いご飯粒の
ついたはしが止まっていた。しばらく震えだした。少年からは母の顔は髪の闇になり欠如されて
いた。母の両手が叩きつけられテーブルが音を立てて跳び上がり個々の振動があちこちに
一瞬の細かな音を発した。のこる静かさが過去を強調し強く上から塗り直しをやってもちあがった。
なんやあと父が顔を上げ言った。くずれた飯粒とはしがテーブルの上を散らばっていた。それ
ばっかしやとうつむいた母の声が言った。なんやあこの料理は、これは、これは。

6 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/22(金) 12:00:34.22 ID:bolhuvT9.net
母は声を出しながら手の平を続けざま料理の上に叩きつけていった。続く声は空中を
切り裂いていく叫び声に変わっていった。これもこれもこれもこれもこれも! 母の手
にもつれて付いた飯の粒が鈍く揺られて変な方向へ飛んでいき野菜やみそ汁がつぶれて
流れだして弾け飛ぶ皿の端は頂点となってから倒れて裏をむきコップが少年のズボンを
濡らした。おい何をしてるんや。震え立ち上がった父の大きな体が怒鳴りを発して電球が
揺れていた。あんたはいつもそれやないか、え! 興味がないていうてばっかりやないか、
え! 子供とも遊んだらんと暴力ばかり奮うてからに、え! 母の髪が激しさで揺れ動き
喉に筋が浮かび上がって痛さを思わせた。こんなもんは意味がないんじゃ! 母は両手を
叫ばせて叩き落とし食器に衝突の乱れを広げていった。料理はそれぞれが照らされた
面の上にこぼれ落ちていきその途中のあいだにのけぞって目を丸くした妹のあごにトマトの
破片がぶつかって落ちていくのが見えね、少年はドレッシングの酸っぱい味が鼻から
吸い込まれていき、立ち上がる父と声を発し続ける母の声が食べ物を壊していった。
なんの話しやと父の突沸した筋肉の震えがのびて父の手が母の動き続ける腕をつかみ
上げるとそれは大きくよじらせた母の体にはね返され母の体が椅子を倒して立ち上がって
いた。愛がないんよ愛がー! 母は真っ赤な顔と目や詰められて絞られ今に赤くちぎれそうな
高い声でテーブルの上の空間に語尾を伸ばしていった。掠れを帯びてなおそれは限界を
超えた力でゴムのちぎれる寸前の固さをもって引かれていき、少年の胸はちぎれそうに
薄く延ばされてそれにつながりをもち食道を縦に裂かれていくようなものを感じていた。
消えそうで消えない母の声の掠れは窓の外の暗い木や壁の揺れているのの中に吸い
込まれ同時に色が希薄化して遠けさを与えられていくように少年は感じた。母は父の声を
はねとばし椅子を倒し汁や種やわかめやご飯粒の乱れてつながった手のままで床を蹴り
つけながら首を後ろに向けたところにあった暗さを向こう側に含んだ扉へと移動していった。
背中に向かって立ち上げる父の額の血管が母を見ていた。階段が駆け上られる音が大きく
天井から殴られていた。父が何かをつぶやく強い口調を落としながら立っていたまま開け
られた扉の向こうを睨んだ。少年は扉の向こう側の黒く影となって客間まで続く暗闇の
廊下から威圧的な空虚の押し寄せて体を固めさせられているのを与えられた。体は内側が
動き回るけれど外側の現実は止まっていた。動こうという想像は現実に合っていることが
できなかってずっと筋肉は停止していた。首もうまく回ることをしなかった。もどかしく叫びは
内側に突き刺さりをはじめた。小さな点と丸のような顔と体をした妹は縮んで小さくなって
いっていた。固体となった妹があり、その目は息を止めたようにのけぞったままテーブル
の上に直線を通り止まっていたのを見た。彼はぞっとした。大量に吐き出された汗に
濡らされているシャツが、熱をこもった内の肉をもつ肌の上に冷感を付着させる不愉快を
まとっていた。震えと熱さが同時にあった。そのようなとき彼は目を固く閉じ布団の中に
もぐりこみできる限りに凝縮させた体で丸くなるのだった。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/22(金) 15:08:50.85 ID:bolhuvT9.net
 夕方は外の色を暗い暗闇に変えていた。包丁がまないたに叩かれる音がささいな
連続で台所から水音と混じって流れていた。少年は妹とソファーに座りテレビアニメを
見ていた。みそ汁の温かい匂いが漂っていた。光りの映像が鮮やかにテレビ画面の
上を踊っていた。包丁の交互の飛び跳ねが次第に間隔を縮めていった。鋭い速さで
それは連続していって地面の空気が鈍く異様に降下していった。突然家全体が巨大な
突然音を響かせて少年はすばやく顔をふりむいた。母がふりあげた手で包丁の先を
まないたに突き刺していた。再びそれは振り上げられて突き落とされた。ねぎの細々が
踊り出し浮き出て宙や水槽にこぼれていった。木のその下の台の衝突がまないたまでを
数センチの隙間に跳び上がらせていた。くそっくそっくそっ。母の圧迫されて潰れた声が
飛び散っていた。大きな叫びを上げて母が両手に掴んだ包丁がまないたに叩きつけ
られた。包丁の刃は音を立てず真ん中から大きくなだれ込むようにして折れ曲がった。
婉曲したまま停止した。少年はリモコンでテレビを消した。沈黙に時間が止まっていた。
母が包丁を水槽に放って耳に痛い転がる音が割り入った。少年はソファーから飛び出して
母の元へ駆け寄った。来るなあああ! 地面を見ていた母の形相から血管の浮き赤く
染まった皮膚の声が飛び上がった。少年は体が停止して棒立ちになった。くそう、くそう、
と言いながら母は引き出しを開けそこにあったはしの束をつかみ上げた両手で握った。
細かい棘の剥き出しに破裂する音を飛び上がらせてはしが裂け半分に割られていった。
割られた身はつながった筋のまま転がって少年の息を止めていた。次々に折れた残骸が
地面に蓄積されていった。母の呻き声が続いていた。明かりはいつもと変わらない白さを
辺りに纏わせていた。母が力まれた震えをくりかえしていた。少年は目が点滅をはじめた。
世界と同時にして顔が歪み続けた。

8 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/24(日) 18:46:37.37 ID:tAYogGmi.net
 車は雪の道路の上を力強いタイヤで踏みしめていっていた。とき
おり雪のでこぼこが心地良い盛り上がりの音で車を揺らした。左右
にはオレンジ色をしたの電灯が暗い夜空のなか等間隔に並べられ
ずっと遠くまで道を続けていた。父が運転して母の横顔が助手席に
座っていた。少年と妹は後ろの席で歌を歌っていた。車の横のスピー
カーから中島みゆきの「グッバイガール」が車全体を包み込み流れて
いた。それはエンドレスでずっと流されているのだった。その歌は柔ら
かく真新しい白をのせた雪の上にジュースや父と並んでした立ちション
便の黄色い色やかき氷などのみぞれの感覚を少年に含ませて心を
躍らせていた。妹は鼻から抜けたような小さな声で歌っていた。少年は
妹と合わせながら大きな声で歌っていた。厚めの服に車からの暖房の
送風が包み込んでいた。ずっと速い速さで車は走り続けていた。次に
来るサービスエリアの潰されて固くなった雪の平坦や息を白くさせる寒さ
の体のすみずみに染み込む新鮮さの暗い道の上を歩く心地よさや広く
変な心地のするまぶしいトイレ、外の道路や夜空と対比して均等な白い
明るさの横溢した空間やフロアの光り、様々な食べ物やキーホルダー
や紙コップに注ぐお茶の湯気やラーメンや人々の密集した机の上の
匂いやらを待ち受けている想いが走り続ける車に楽しさを与えていた。
中島みゆきは詩人や、父と同い年やねんぞと父が言っていた。少年は
身を乗り出して歌った。もしお父さんが中島みゆきに会ってたらお父さん
お母さんより中島みゆきを選んで結婚してたで! 少年は母に言った。
しょーもないことをと言いながら父は言った。妹の小さな笑い声が後ろに
なっていた。お父さんはな、お母さんのことが好きやから、それでもお母
さんを選んでいたよと裏返った声で母が言った。キャーーーーーーーー
ーー! 少年ははしゃぎ声を上げ妹もその声に続いた。あほ、と父は
笑った。母は顔を赤くして大きく笑んでいた。お父さん聞いた、お父さん
そうなん、少年は体を飛び上がらせながら父と母の間を交互に飛んだ。
そうやで、と母が言っていた。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/26(火) 19:30:07.51 ID:vxEVtsr5.net
 今、父は居間の絨毯の上にしゃがみ込み少年と妹の二人を前にして
顔を近づけていた。真上の天井からの電灯はその顔に影を生み出して
重い怖さを含んでいた。二人は立ったまま父の顔の影の動きを見て
いた。お母さんはな、お父さんが行きたくないってゆってるのに、無理に
行かせようとするんや、なんでおとんはしたくないことをせなあかん
ねん? おとんほって三人で行けばええやんけ、なんで人にわざわざ
強制させようとするんや。低く重い声が二人の顔を渦巻いて包み込んで
いた。強くぶつけるような力が声のところどころに押し込まれ少年の
内臓の奥深くに黒々と響いていた。すぐああやって叫ぶやろ、お母さん
はな、ヒステリーなんや、頭がおかしいねん、ビョーキやねん、見てたら
わかるやろう、振り回されるこっちの身にもなって欲しいわ。父はとがら
せた顎を動かしながら影も様々に形を変えておうとつを浮き出していた。
少年は体の筋肉が巨大化と縮小を同時におこなっているような痺れを
感じていた。いつもの慣れ親しんだ今の空間のはずであった。料理の
様々に混じった匂いの温かさやテレビの賑やかな色の明滅やナシや
リンゴや囓る音や母や父の穏やかな声を含んだ場所なはずであった。
おい、今ゆったことはおかんに言うなよ、もし言ってみろ、お父さんバット
持って家の中暴れまわるからな、覚えとけよ。父は顔をさらに重くただれ
させて厚い皮の重みを押し寄せていた。わかったんか。少年はわかった
と言う。妹も言う。父は立ち上がり背中を見せ、去っていった。階段を
のぼる足音が聞こえても少年はずっと立っていた。

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/26(火) 19:32:03.11 ID:vxEVtsr5.net
 車がオレンジの光りを様々に発して消えていく。暗い車の後ろの
席に少年は座っていた。めがねをかけた母の髪の毛が車を運転して
助手席に祖母の老婆の背中が光りの影を受けていた。車はいつの間
にか道の脇に停止していて車道に走る様々なライトを内側に拡散させては
消していった。二人の姿がシルエットになって少年に影を与えていた。
少年はすべての体が暗闇に包まれていた。ほこりを思わせている匂い
が車にあって閉塞を味あわせていた。車の光りが風のような一瞬の
走りをかけながら横に走り抜けていった。それが不規則にくりかえされ
ていった。同化していた少年の目は次々と送り出され摩擦に火花を
散らしては姿の明滅に像を浮かび上がらせていた。うつむく母が何か
を言っていた。横から伸びた手の老婆が母の肩をさすっていた。あの
人はいつもそうや、子供には感心がないねん、旅行行こっていっても
どこもいかへんねん、興味ないって言うねん。締めつける声が細い
パイプの中を無理な圧迫におされ引っかかりを得た空気に鳴って
いった。少年の腕が固まって丸まっていって足の筋肉が固く内側に
縮んでいった。母のめがねは見えていなかった。かわりにパーマの
丸く連続した毛がオレンジ色に染まりつつ黒く停止していた。全体が
影となった母の暗い肩のオレンジに一瞬の光りを放つ輪郭が細かに
泣きの揺れを浮かばせていた。よしえちゃんしっかりしい負けたら
あかんよと老婆が言った。よしえちゃんよしえちゃん。老婆の腕が
動いた。それにはがされていくように母の細くて圧迫に詰め込まれた
呻きのかたまりがいくつもこぼれ落ちていった。外のライトがそれに
形を与えていた。私はあの人に誘われて何度も海釣りに行ったと
母は言った。私は海釣り好きじゃないけど行った山にも行った山好き
じゃないけど私は行った私がいつかどこかに行きたいて言ったら
一緒に行って欲しいから一緒に行ってくれると思ったから私は我慢して
行ったあの人が嬉しそうで

11 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/27(水) 20:24:01.60 ID:p+aHY195.net
楽しそうだから私は一緒に行って笑った私も楽しくなった私は
あの人が笑ってるのが嬉しくて楽しかったあの人と一緒やから
楽しかったけれどあの人は私が行きたいて言っても行きたくな
いと言った興味がないって言った私はべたつく塩水も寒い朝も
凍えた指も狭いテントの痛い体の冷たい骨も爪に入った土や
汚れた服や寒さや落ちてきた毛虫も汗の匂いも岩も土で動く
ミミズの臭さも全部耐えてあの人に付いていった私はあの人
も一緒に付いてきてくれると思っていたけれどあの人は私が
言っても興味がないって言って一緒に行かないあの人は私に
興味がないねん興味ないってゆって見向きしないねん私自体
に興味が何もないねんもうおしまいや私はあの人を好きになっ
たせいで私は結婚して子供もできたもう後戻りはできない私の
人生はもうおしまいになった私の人生は終わってしまった。両
こぶしに握りしめられた力が飛び出して肩を震わせシートを揺
らいでいた。よしえちゃんよしえちゃん。老婆のさする手が声を
震えの肩の上に与えていた。母は頭がうずくまり顔が消えて毛
だけになった。母の口から長くいつ終わるかわからない永遠
の長い息が吐き出された。かぁーーーーーーーーーーーーー

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/27(水) 20:25:37.81 ID:p+aHY195.net
ーーーーーーーーーー。音の抜けた喉がとても長く掠れ壁面
を破り裂きずっと吐き出され続けていった。少年の肺の中にあ
る表面のすべてを震わせて呼吸に停止をもちあがらせていた。
少年は目を潰して耳を塞いで座席に顔をうずめこんで歯を噛ん
で力を入れた。同時に少年は何もない顔の丸い目で窓の外の
くりかえされるオレンジの光りの暗い道路の上を照らすでこぼこ
の生み出されて消えるのを前後に揺らされる体で振れながら
眺めていた。同時に脳みその中の暗く広い空間で何かが固く
永遠に縮んでゆき固さと濃さが増えていっていた。黒くて四角
いかたまりはいつか爆発する危険を孕んでいた。よしえちゃん
よしえちゃん。声が遠けさを帯び始め浮かび上がると目の前を
どこかに消えていった。少年は額が前の座席のシートに触れ
たり離れたりを感じていた。お尻を中心に頭がゆっくりと安定の
時間で遠けさに剥がされていきながら振らされていた。母の内
側から壁をすべて切り裂いて破りさる長い息はずっと続いて彼
の体を外側へますます渡していった。渡された少年は表面を
越えて浮かび上がり傍観していた。手とそれのつながった肩の
シルエットの明滅からずれて離れた後ろの空間は少年を揺らし
続け爪を噛んで丸い目を外の暗さに走り抜ける車の風や地面
の音に明滅を受け入れてその動きの間に飛び出していく離れ
た自分を感じていた。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/28(木) 22:34:18.91 ID:J09OZ7xY.net
 同じ車の走る道路が白い光りを前から後ろへ瞬間
移動していた。光りが一瞬の形と影を作れば曖昧に
戻っていっていた。運転席に父の後頭部があった。
助手席に父の兄があった。父のハンドルを真っ直ぐ
ずっと先の道へ飛ばしていっていた。父が母の悪口
を言っていた。それはすぐそばな感じで車の中を包み
込んでいた。後ろの席に少年がいるはずだった。少年
が聞いているのを父は知っているはずだった。父は母
と同じ場所に座っているはずだった。父が語っている
ということが少年の周りにある空気の皮をめくってい
った。地面が段差に揺れていた。少年は自分がいない
ことが自然であるはずだった。母は少年の前で言って
いた。今は父が母のことを言っていた。違うものが同
時的に少年を包んでいた。自分はそこにいないことが
普通だった。前にいる二人人間や光りの飛び交う世界
の中には少年はいなかったのと同じだった。段差に揺
れる父の声は続いていた。少年は離れていった。暗
さと染みいって世界全体の空白化が行われていった。
同時に生身的な音や視覚や体の感覚だけ与えられて
いた。空白化はそれを傍観していた。あやふやに世界
がまったくの離れていたところで動いていた。

14 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/29(金) 20:10:15.04 ID:0qfYKLwf.net
 並んだ少年と妹の立っているのが母の前にあった。母は二人を交互に見ていた。父と
母が別々になったらどっちに行くかという問いの答えに待たされているのであった。保育
所に迎えにきてしゃがみこんで顔を覗き込むときと同じようなさりげなさの与えられた形
だった。妹はずっと黙っていた。母の後ろに大きな暗い窓の外の黒さがあった。広い草
の空き地が広がった外を貼る二階の部屋だった。床に布団を敷いて四人でいつも寝て
いる場所のはずだった。少年は父と母に囲まれて寝るのが好きだった。横に転がれば
父の大きく硬い体があり横に転がれば母の大きく柔らかい体があるのだった。転がって
挟まれているのを交互に感じるのが好きだった。僕はお母さんとお父さんと一緒にいた
いと言った。母の目が一瞬見開いたのち柔らかさに丸まっていった。その後にまた固くし
っかりとなった。あんたは男の子やからお父さんと男同士一緒に住みと言った。少年に
家が変わることが想像された。畳のアパートの一室で父と二人で過ごしている映像だ
った。畳の上を朝の光りが四角く伸びた形を作っていた。母と妹のいない世界であった
。想像は一人で歩いて母と妹の住む家に移動するのだった。少年は母と父の家を交互
に寝るのだった。いややという言葉が心に刻印されてそれが形をもった言葉となって出
ようとした時だった。みぃはお兄ちゃんと一緒がいい。いつも顔をつむじのようにつむら
せてしずかであった妹が突然声を出した。少年は顔を振り向けた同時に母も妹を見た
。滑稽な形をした砂糖が溶けていくような感じで母の顔が崩れだした。潰されてばらば
らになった顔が赤くて笛から失敗した音が抜けるような音を発しながら目が料理の鍋に
ある汁の飛び出していくように濡れた。小さい子の泣き声を母が呻いてこぼしながら少
年の体を抱きしめた。母の胸が少年の体に包まれて耳の横からこもって熱い泣きと湿
った濡れを間近に与えた。母は少年の髪を撫でて泣き続けていた。少年の心はそれに
あわせ水が滲み入り濡れたふすまのようにぐしゃぐしゃになっていった。首が歪み糸に
引き寄せられたように黒い窓の外の暗闇から妹へ目を移動させた少年は妹の思い詰
めて点を見た床の上に停止した目の普段見ない停止と力と確固たるものを少年に感じ
させ肉の内側から震える不安が飛び出していった。少年と母のずっと遠く離れた場所
で妹の存在が驚かしく大きく力強く感じさせ妹はただじっとこぶしを握りしめ何かを見て
いるのだった。少年は自分の服の裾が妹につかまれていた。その手は小さくけれど強
く震えているようだった。彼は突然の巨大な音に驚いて目を覚ました。新幹線の中だっ
た。反対側の斜め前に座った中年の太った男が文庫本を床の上に落としたのだった。
ばらついたページの文庫本の角が強く彼に見られていた。中年は体をおろしそれを拾
い上げる。何もなくなった床の上は彼を縛り付け固く彼の体全体の視線を突き刺させて
離れなかった。ただ彼は激しい息をして顔中にびっしりと汗が流れていた。濡れたシャ
ツが胸や背中の肌に付着して震えるのだった。停止して丸く開いている目が固くずっと
おさまろうとせずその妹の顔がずっと彼の体に同一化して動かなかった。

15 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/05/30(土) 19:41:42.84 ID:3K2ei20V.net
 夏休みがはじまった。父は毎日少年をプールに連れて行ってくれた。少年は
プールが好きだった。こぼれる熱い太陽の微粒子を感じながら水の中ずっと泳
いでいるのだった。父は水の中に入ろうとせずいつものサングラスでただ海水パ
ンツをはいたまま日陰の椅子に停止して空や天井を見ているのだった。車でい
つも移動した。父は優しかった。いつもは買ってくれなかったジュースやお菓子
を少年に買ってあげるのだった。顔も優しかった。変な大きいビルの中で棒状の
甘いお菓子を二本も買ってくれた。少年は手を甘くべたつかせ見上げながら笑
っていた。
 ときおり突然親戚の人の家にいることがあった。夕方の陽の紅があたりのたん
ぼ全体に敷かれているところでアスファルトの上に妹がいて妹は大きく笑いなが
ら少年の元へ走っていくのだった。少年はにやけを止めないく突き上がる自分の
顔で妹と手をつないでまわったのだった。横や上に大人がいるのだったけれど顔
は見えなかった。親戚の家の中では天井の柱にぶら下げられていた風鈴が鳴
り扇風機が首をまわしていた。親戚の子と一緒に床の上に広げられたおもちゃ
や積み木で三人で遊んだ。おばさんが渡してくれたスイカを食べながらテレビの
前に並びピノキオやピーターパンやシンデレラを見たのだった。その家の中には
いつも父と母はいないのだった。帰りの車にのるときに父は現れるのだった。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/01(月) 21:28:22.11 ID:fbLagiIz.net
 いつの間にか新しい季節がきているのだった。アスファルトの上を枯れた葉が風に
回転して滑っていった。朝は肌を冷たく内に熱の芯を生み出す寒さを与え太陽の明
るさが空気をだんだんと暖めていきかたい体を溶けさせていくのだった。
 少年は広い銭湯の湯船の中に唇を浸していた。朝のちょっとの寒さが熱い湯に心
地良く馴染んでいた。目をつむると方々から棘の丸く変形された温かみの多く桶の
置かれる音や椅子のずれる音そして水を流し流れてゆく響きの数々が融合して身
に浸る湯の揺らぎと共に包み込んでいた。目を開けると壁の少し上側の窓からはじ
まって薄膜の湯の揺らめく表面の上に確固とした形で斜めに伸びた空中の柱が内
の湯気の変動を細かな微々に時々紡いでいた。少年は手を伸ばしその形を掴もうと
周辺の輪郭から触れていく。すぐ空になって手の平に境を教えない光りに可笑しさ
を味わう。体の熱さが脱出を願った少年は立ち上がり空間に飛び出した。流れる湯
を引きずる痕を残しながら壁の鏡に向かう父の元へ向かった。ちゃんと体洗ってか
ら風呂入らんかいと父の泡立てる髪の毛の間の掻き乱れる手は言った。めんどっち
いもんと言う少年をひきよせて父はシャンプーを頭にかけ手が髪の中にもがいた。強
く頭が振れて泡が盛り上がっていった。あとは自分でせいと父は言い少年は頭の泡
を首にまき体に塗りつけていった。泡だったシャンプーでそのまま体を洗えば石け
んを使わなくてすむから節約なるんやという父のいつもの言葉が動かしていた。少
年は終わると水風呂に入っていた。目の前を巨大な足が横切って見上げると巨大な
体は服を着たまま肉を揺らし歩行していた。服は薄くそれは描かれた絵だった。首か
ら肩や胸背中とお尻と太ももの真ん中まですべて黒々とした模様の色が隙間なく塗ら
れていた。少年は目を見開いて息を止めた。背中に動物がいた。龍だった。分厚い皮
の上に龍が描かれていた。巨体は壁の鏡の前に座り込んだ。少年は立ち上がり龍
の絵を追った。生々と息をする肉の絵は膨らみ動きながら呼吸をして生きているよ
うでありつつもやはり平坦な絵であり光りの加減で面的な陰影の変化をして薄さを
感じさせるのであった。黒い線で影や形やふくらみを表現した長く溶けいったような
雲の数々が面のあちこちに敷かれその間から緑の灰色のうろこをもった龍が飛び
出していた。白く剥かれた目が激しさや狂気を与えていて笑うように大きく裂かれた
口の先に小さく鋭い牙が突き出しその上の鼻から長い一本のひげが根本の力強さ
からゆるやかな婉曲を描いて伸びていた。空点の龍の目は遠くどこか遠方を見つ
めその下で鋭く突き刺す長い爪が何かを掴み取ろうとしているようであった。雲が小
さくなる遙か彼方までを龍のうろこの体が続き、巨体の尻のあたりまで飛び出して続
いていた。うつむいて泡立てる男の腕に振られ背中の肉と絵は揺れ続けていた。そ
れは不思議な感覚であった。少年が絵本で見たドラゴンははっきりとした濃い線で
縁取られ色鮮やかな黄緑色の体をして活き活きと輝いているはずであった。

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/02(火) 21:20:02.35 ID:CMeKQOM5.net
だが目の前のそれは灰色でむしろそっけない色合いにさめ、平坦に遠く消え
ていくような微かさをもっていた。それは少年の感覚に褪せた遠けさを与え逆
に想いを膨らませるような細かな動きや奥深い膨らみを感じさせた。少年は
遠くその奥にある何かに触れようと手を伸ばしていった。つとと肉が壁となっ
て指に触れた。同時に巨体が鋭く振り向いて少年を見た。太ったぶ厚い皮の
顔に細い目が挟み込んで潰すように少年を睨んだ。何や、と細い目が低く空
間を引きずるように言った。ドラゴンやと少年は言った。色の違うドラゴンや。
入れ墨が珍しいんか。イレズミ? この絵のことや。なんで絵を描いてるん。
これは自然にできたもんや。細い目は目をさらに細くして少年に顔を近づけ
たあと体を持ち上げてあたりを見回し再び少年の顔に近づいた。お前名前な
んて言うんや。リュウ。龍? じゃあ名前がドラゴンっちゅうわけか。そうや龍
はドラゴンや。ええ名前してるやんけ。おとんがつけた。そうかと男は言った
。低く掠れたような声で喉の肉が動いていた。龍のおとんは何をしとるんや。
おとんは今あそこにおる。少年は曇った窓のサウナを指さした。男は少年に
向き戻し、ちゃうがな、と言った。何の仕事をしとるんやと聞いとるんや。シゴ
ト? そうや仕事や。わからへん。わからへん、お前自分の親父が何の仕事
しとるんか知らんのか。少年は黙った。父の仕事はよくわからなかった。毎朝
弁当を持って父は家を出て夜になると帰ってきた。お父さんは毎日昼間は何

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/02(火) 21:20:57.89 ID:CMeKQOM5.net
をしているのかと少年が聞くと父はいつもカイシャやと答えた。カイシャで何
をしているのかと言うと仕事をしていると父は答えた。何の仕事かと聞くと難
しい仕事やと父は答えた。父の部屋には入ることが禁じられていた。少年は
こっそりと扉を開き入っていくことがたまにあった。暗いその部屋の壁はくりぬ
かれ床から天井まで本棚になっていた。古く茶色さに変色したものもあれば新
しく細い本もあった。部屋の隅には傷のたくさんついた長く重い木刀と真新し
さの上に埃をかぶったフルフェイスのヘルメットがいつも同じ形で置いてあ
り開いた物置の奥には端が剥げて染みのついたレッテルの貼られた化学
薬品の瓶がいくつもと色褪せた試験管やビーカーや蓋が焼けて黒くなって
いるアルコールランプがあった。妙な機械の部品や本体があった。触れよう
とすると触るなと言われるのだった。一度物置から銀色の小さな金属の玉を
持ち出して床に転がして遊んでいると父の怒鳴り声が飛び上がり追いつめら
れた部屋の隅で母が止めに入るまでずっと鋭く響く骨の奥底まで蹴られ続
けたのだった。知らへん、と少年は巨体の男の顔を見ながら言った。知ら
へんてお前、それはあかんぞ、親父の仕事もわからんのか。男は少年に顔
をさらに近づけた。じゃあ親父がやくざやって思われてもしゃあないぞ。男の
顔に真剣さが滲み寄っていた。やくざ、ってなに。やくざも知らんのか、やくざ
ってゆうのはな、ああ、どろぼーさんのことや。どろぼーさん、やくざ。お前、自
分の親の仕事知らんかったらそう思われてまうぞ、ええ。男は太い指の手
を伸ばし爪で背中を強く掻きむしった。音が弾けるが絵の龍は動くことをしな
かった。ええこと教えたるわと男が言った。親が何の仕事やっとんのか聞か
れたらな、こう答えろ。巨体は首を低く突きだして顔に大きな影を生み出して
少年に圧しを与えた。パチンコで稼いでますねん。そう言うと巨体の歯は剥
け上がり表出し体がのけぞり揺らしながら大きく笑う声を上げた。よくわから
ずに少年はそれを見ていた。歯を見せた愉快のまま男は少年を再び見た。
ほな、おとんとこ戻っとき。うんと言って少年は父の元へ行った。

19 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/03(水) 22:09:55.00 ID:MNcWksN/.net
 そんなこと言われたんか。父は同じような笑い声を上げた。父は龍の遠くで
揺れ続ける背中を見ていた。あのおっちゃんはなんで体に絵をかいてるんと
少年は言った。あれはな、ほんとうに強い男という証なんやと父は言った。な
んで強いん。強いから強いんやと父のサウナの蒸し暑い響く声が言った。水
で絵の具落ちひんのと少年は不思議を言った。強いから落ちひんのやと父は
笑いながら言った。少年は絵を描くのが好きだった。保育所に与えられた絵の
具で紙の上に絵を描いた。たいてい骸骨の旗を掲げた大きな木の船を描いた。
歌ったり踊ったり闘ったりする海賊たちの絵を描いた。少年の描く海はいつも緑
色だった。母は海は青色やのになんでリュウは緑色に描くのと言った。海は緑
やと少年は言っていた。旅行に行った車から見た海はいつ見ても緑色であった
。リュウはほんとうのことを描くんやなと父は言った。その顔と声は少年に嬉し
さを与えた。
 湯に父と浸かっていた。そろそろ出よかと父が言った。ほなおかんに言いと
父は言った。お母さん出るでー! 少年は声を広い天井に響かせた。しばら
くしてから妹の声が天井の広さに響いた。わかったー! 鮮やかでさっぱりと
したりんごやナシではなく柿のような間の抜けた声でそれは伸ばされていた
。少年は父の後ろをついて歩き浴室を出た。振り返ると絵が描かれた男の
体が浴槽に沈み揺らいでいた。なんで、絵の具落ちひんのかなあと少年は
言った。




 母と妹が家に戻ってきた。妹はよくしゃべるようになっていた。夜寝る前に
寝室の電灯を消された暗がりの布団の中で一緒に遊んだ。ふすま越しの
隣の部屋で父がテレビを見ていた。母が居れば布団に入り込み二人を寝か
しつけるのだった。母のいない父だけのときだけ細かいふすまや天井の隙
間から漏れる明かりやテレビの音を背景に妹とずっとしゃべって遊んでい
た。手にコントローラーを持ったふりをして想像上の格闘ゲームをしたり
布団を足で持ち上げてテントを作ったりもぐらとなって布団の中を泳いで
いたりしていた。母が来ると二人を寝かしつけた。母はいつも明かりすべて
消さず黄色い余灯のぼんやりだけを残し子供の体の上に手をのせてゆっ
くりなリズムを刻むのだった。子供を寝かせよと母の命を受けた父が布団
にいる場合父は物語を語って聞かせてくれた。主人公は少年や妹でいろ
いろな色や形をした世界の冒険の物語だった。父と母は別々の部屋に
敷いた布団に寝るようになっていた。



 彼は窓の外を見ていた。新幹線は真っ直ぐに音なく進んでいた。恒常的な音が新幹線を真っ直ぐに包んでいた。温度は体に親しみはせずただ存在しないかのような空調だった。

20 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/04(木) 22:23:01.62 ID:EzrdSfD2.net
 少年は絵を描いた。水性絵の具は画用紙の白に塗れた筆を滑らせ
た。水しぶきを上げ大海から昇り上がる龍、巌に囲まれた巨大な滝の
あいだから飛び出してうねる龍、大森林の大空に身を構え遙か彼方を
包み込み咆哮する龍。棘の硬く赤い鱗にコウモリの羽をした龍、老成
し食われた葉のような翼をなおも大きく広げ巨体をつり上げる龍、長く
肉を帯びた緑の延々と続く長蛇の剥き出す爪や牙、そこにいる何者か
を今に掴み裂き食いちぎることを想わせ、恐怖の後の巨大さに諦観の
吐息が漏れる。妹と共に植物の絵を描いた。筆を落とし異なる模様の
種をもったぺんぺん草の一本を。柿の樹の葉の一葉一葉は色を様々
に点付けされ影と光りの生を描いた。
 中学生になった少年は父の部屋にある木刀を持ち出しては夜に家
を出た。血の混じる黒い石粒を付着させ持ち帰った。木刀を使うなと
父は少年を蹴り飛ばした。少年は切れた唇の痛みに血を拭い父を睨
んだ。父はいつも見下ろしていた。

21 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/05(金) 17:47:59.07 ID:84MknQBK.net
 中学が後半になると父は少年をあまり蹴らなくなった。少年の体は大き
く父をうわまるようになっていた。筋肉は父を越えていた。衝突が起これ
ば少年は父に偉そうな口を放った。父は怒鳴りを上げながら少年を追い
掛け、裸足のまま玄関を飛び出した彼はアスファルトのめり込む上を走り
逃げ続けるのだった。自分より背の小さくなったその男を少年は殴り倒す
ことができそうだった。だが目の前にすると放たれる威力の奔流に衝動
が彼を彼方に吹き飛ばした。骨張りを含みはじめた己の拳が長さを蓄積
された父の顔の皮膚にめり込んでいくことの想像されるのは苦しみであっ
た。生きてきた記憶が少年の現在すべてを構成していた。幼少時の食事
中手の過ちにコップを倒しテーブルや床に流れる瞬間少年は駆け出し父
の怒号と迫り来る速さに逃れることはできず部屋の隅や逃げ切った玄関
、床の上に背中から蹴り飛ばされる衝撃に身体と顔面を叩きつけられ繰
り返し続けざま肉の踵が全身に立体的で鈍い衝撃を飛ばしてくるのだっ
た。母の叫び声と割り込まれる体が父に赤い怒鳴りを発し蹴らんでええ
やろが口で言いや口でという母の声と重なるこいつは蹴らなわからんの
じゃ猿と一緒なんじゃという父の怒声、放られた少年は意識が異質な場
所に置かれたまま保持され父の去りゆく背中と母の抱きかかえる胸の感
覚にはじめて目が覚めたように大声を上げ泣き出すのであった。蹴られ
る瞬間の恒常よりも逃走に息を止める永遠、今に来る痛みの衝撃を待ち
受けて流れてゆくあたりの家具や壁背の彼方よりくる父の声から逃れよ
うと走るその瞬間瞬間の方が厭わしさの度合いが大きいということを状況
が少年に教え、少年は知識としてそれを蓄えた。蹴られ始めれば痛みと
全身を揺るがす衝撃は宙に浮遊して世界との乖離の感じられる、消極的
な心地よさがあるのだった。逃げる必要はない、すぐに蹴られてしまえば
いいと知識を刻印してもなお少年は身体が逃げ続けるのを見ているほか
なかった。知識と行為の大きな隔たり。あるいは自分は父との共同作業
として演技を筋書き通りになぞっているのだという風に考えたこともあっ
た。いずれにせよ父が蹴り飛ばしあるいは棒で殴るか物を投げるかする
のは少年が悪いことをした時だけであり何もない時にそれを与えられるこ
とはなく不条理は感じられなかった。また少年は父が母や妹を蹴っている場
面を見たことは一度もない。普段の父は好きだった。中学生になると父も
母も両方の存在が鬱陶しくなった。些細な言動や振る舞いと強制が積み
重なり絡み合って常々の苛立ちを燃やしていた。家具やガラスや壁を蹴
り潰してやりたい衝動、けれどその先に待ち受けるだろう父の存在は圧
倒的で必然の牽制を与えていた。

22 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/05(金) 17:48:41.65 ID:84MknQBK.net
そのような経験態の延長に呼吸する少年は例え肉体的に
打ち勝つことができたとしても父に殴りかかるようなことは
できなかった。それは世界全てが崩れ落ちるのと同じであ
った。同時にそれは少年の苛立ちを更に炊きつけた。ただ
怒りが渦巻き口を飛び出して父にぶつけられ、言葉を見た
父はつかみかかり追い掛けてそれから全力で逃げ去るの
であった。腰抜けが! 遠く離れて振り返る少年に父の追
跡を止めた顔が叫んだ。やがて境界が来た。彼は背を見せ
ることをやめその父を前に足に筋肉を踏みしめて立ち止まり
睨みを射た。父はその一歩を出そうとしなかった。代わりに
足を止めたまま数々の怒鳴り声を上げ、背中を見せて階段
を上っていった。彼は驚きに目を見開かせた。横にぶら下げ
ていた手が震えさえした。夜寝静まった暗闇の中で少年は
奇妙な静寂を感じた。興奮の息が絶え間なくしずかに暗い空
間に篭もり放たれていくのをずっと凝視した。可能不可能の
問題を実際の現実に試すようなことはしなかった。小さな場
所にほのかな憐憫があり、そのようなものを生み出す己自
身への怒りや、あるいはそれを生み出させる父自体への怒
りに繋がった。それにともない苛立ちの燃焼の轟々のうちに
はどこか演技への誘導が含められ、逃避する形の身体が状
況に投げ込まれた。

23 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/06(土) 13:37:42.57 ID:ksF63KD3.net
 少年は高校入試に合格して落ち着いていった。普通科の高校に
入学した。妹は中学生になった。二人の部屋は別々に分けられ
た。変わらず大人しい小さく細い妹が黒い制服を着ていることが可
笑しく彼は毎朝揺れるスカートや学生鞄の間の両の指、髪をピン
に留め笑う妹の顔を見て笑った。




 学年最後の春休みが終わった。四月、彼は高校二年生に、妹は
中学二年生になった。妹は学校に行かなくなった。父や母が言い聞
かせ妹は数日間体を持ち上げて登校した。次の月曜から再び朝
を起きなくなった。少年は中学生の時遅刻欠席を頻繁に起こした
。彼は高校生になっても与えられる怠惰が感じられ朝電車に乗っ
たまま駅で降りず大阪環状線を何周もまわっていた。彼は妹のこ
とも同じような感覚で気楽に考えた。妹は一週間学校に行かず、
二週間、三週間と続いていった。朝の妹のもぐる布団の横に立ち
父は怒りしゃがみ崩れた母は泣いた。いじめられているのかと彼
は妹に聞いた。違うと妹は言い彼は妹の肩を掴み強く揺すって同
じ事を聞いた。違うと妹は目をつむり顔を振った。じゃあなにがあっ
たのか。何も起きてない。言えよ! 声を張った彼に妹は、お兄
ちゃんは単純馬鹿やからわからないと言って兄の頬を手で張っ
た。
 妹は学校に行かなくなった。

24 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/06(土) 20:00:07.43 ID:ksF63KD3.net
 ある日の学校が終わりいつものように友人と遊び夜暗くなって家に帰ると
妹の目が布団の中で震えていた。父と母が妹の部屋に立ち話し合ってい
た。何があったのかと彼は聞いた。
 四月から新しく学校に入ってきた新任教師は妹のクラスの担任となった。
その男は妹が不登校になった後たびたび家に電話をかけ妹のことについ
て母と話をしていた。妹が自殺未遂をしているという学校の生徒の間にあ
った噂を聞きつけて家に妹しかいないその日の夕刻に担任教師が家を訪
れた。母が語った妹の話によると担任は畳の上に包丁を突き刺し、自殺し
たかったら今ここでしてみろ、と言った。妹は震えて泣き出した。できひん
のやろう、できひんのやろうお前は甘えてるだけやお前は、甘えてるだけ
や、いいかげん甘えるのをやめろ、親に迷惑をかけるな、学校に来い。と
担任教師は言った。彼はよくわからなかった。妹は自殺未遂などと無縁
であった。もともと妹と担任に何らかの関係があったのかと聞くとそんな
ことはまったくなかったしゃべったこともないらしいと母が言った。要約さ
れた話として、娯楽映像にある類の熱血教師の模倣を通した自己陶酔の
投影咀嚼媒体として妹は利用されたということだった。妹は布団を頭から
かぶりベッドの上で前後に揺れ母がその顔に近寄って背をずっと撫で父は
激昂していた。彼は階段を駆け上がり父の部屋を開いた。本棚の右端の
最下段、警察関係や政治家関係の情報の束の一環に市の中学校教職
員名簿があるはずだった。引き抜いてページをめくった。父が現れてや
めろと言った。彼は住所をメモ用紙の上に走り書いた。どこでそれを知
ったか聞かれたらどうするんや少し待て。彼は物置の奥に隠された木刀
を取り出した。おい!

25 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/06(土) 20:38:54.51 ID:ksF63KD3.net
父は彼の腕を掴み彼はそれを振り払った。父は声を張り上げて彼の服を掴
んだ。彼は突き放し父を睨んで言葉の叫びの鋭さを上げた。父の体が怒り
に盛り上がった。木刀の感触を強く把持したまま彼は階段を駆け下り父の
足音を越え玄関を飛び出して自転車に走り乗った。背後に父の怒鳴りが遠
ざかった。メモを見て木刀とともに夜の涼しさを走り抜けた。一刻も早く担任
の気分を害してやりたかった。あちこちに電柱表記や地図看板を見、数々
の残像する電灯のもと息が漏れ汗が這い熱が包まれてハンドルの手の内
に木刀が振れた。インターホンを押した。肉体の丈夫そうな男が現れ彼の
手に持つ木刀を見て顔色が鋭く睨みにかまえた。背の高く厚い胸板が背
景の灯りに強く影を帯びるのを距離を開けた彼は立ち睨んだ。彼は妹の
兄だと言い、言葉をぶつけた。男は反論した。彼は怒鳴り声を上げた。男
の肩は微動だにせず岩のように仁王だって彼を見据え語り続けた。言って
いることは納得のいくものではなく体育会系の頭の悪い根性論以上には
及ばなかった。彼は言語的に反論する言葉を創出することができず悔しさ
が担任教師の太い声の連なりに引きずられ次々に沸き上がった。お兄ちゃ
んは単純馬鹿やからわからない、妹の言葉が過ぎり木刀を持つ手が滲み
力が含まれはじめた。そのとき背後に巨大なバイクのけたたましいエンジ
ン音が現れた。父だった。父はバイクをしずかにさせてスタンドを立てこち
らに歩み寄ってきて担任の男は顔に滑稽が滲んだ。父は恐ろしい顔をし
ていた。見慣れた彼には何ともないそれはときおり他者を通して彼に知ら
された。道を歩く他人はその顔に不安を感じた。片目の上に潰れた傷痕が
あり両目は重く据わっている。レストランのウェイターは父を前に緊張した。そ
の無愛想な声や相手を

26 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/06(土) 20:39:50.79 ID:ksF63KD3.net
まったくの無力に堕とす視線の配りは見る者に肉体の長く重い
歴史の蓄積を想像させた。おとん、と彼は言った。おとん? 担
任の動揺の小さなつぶやきと同時に父は彼の前に立った。貸
せ、と言って父は手を差し出した。彼は木刀をその上に乗せた
。次の瞬間あごの衝撃とともに頭部全体に冷水の通る感覚が
突き抜けて彼は飛び上がり背から地に倒れた。肉の潰れて滲
み出す感のあごを震えた手で押さえつけ激しい呼吸で見上げる
彼に父の激しさの表情の靴の裏が振り上げられた瞬間だった。
両手両足で構えたその上に次々に足の衝撃が突き刺さり跳ね
とばされて腹や胸や頬に続いた。すぐに沈黙が来て横腹の鋭
さに体を折り曲げて涙目になる鼻を押さえわななきながら見上
げると天井の壁の灯りやうろたえる担任教師の動きを背後にし
た暗いシルエットの父がしゃがみ込み広げられ手が迫った。彼
は呻きを上げながら体をもがいて後退し緩やかでそれを上回
る重みをもった速度の父の手が上から被さるようにして彼の頭
の髪をわしづかみ、持ち上げた。痺れて皮だけになった両手で
必死に地を支え首の筋の不穏を避けながら眼前に引き寄せら
れた父の顔に彼はあごを引き口から砂埃の鼻血の鋭い呼吸を
散らせながら父を見た。誰がオマエじゃごら。父の飛び出した
拳は彼の唇をつぶし目をつむる衝撃を与えて頭が硬い地面に
激突した。彼は後頭部と歯を交互を押さえのたうちまわった。父
の部屋で父の手を振り払った時父をオマエ呼ばわりした彼の
言動について父は言っているのだった。再び父の手が迫り髪
を掴み上げ伸び切って力まれ軌道を圧迫する首筋に全身が戦
慄に震え上がる。お父さんやめて下さい、担任教師のうろたえ
た声が手を大仰に混乱

27 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/06(土) 22:36:02.85 ID:ksF63KD3.net
させながら背景に見え続けざまの短く詰まった咳が血を父の顔に散らす。お前誰
に向かって口聞いとんじゃごら。父の声が破れた陣痛の皮膚の上熱く延びた血の
面に撫でつけて駆け巡る。必死に震える呻きと顎で顔を振る。空気を裂く布切れの
轟音とともに父の拳が衝突し素早く過ぎる景色と同時に後頭部の衝撃が飛び出
す。岩の感覚の割られた音を掻きむしりながら目を瞑り痛みの緩和を求めるように
激しい呼吸を彼はして足を地の上に擦り動かし逃れようとするその髪を父は再び
掴み上げる。担任教師の狼狽が巨大に広がって聞こえ響いて父の腕が揺れ動く
のを感じ滲む間から目を開けると担任教師の腕のシルエットが父の肩を掴んでい
る。彼の頭が宙に放された虚脱に落下した瞬間父の体が素早さに回転し担任教
師の顔面の中央に激突の拳が与えられ男の体は反り返るようにして頭部を中心
に宙へ吹き飛んだ。お前は黙っとけ滓が! うずくまり顔を押さえ地に悶える担任
の男に向かって父が怒鳴ったのを焼けるように痛み石粒の数々のめりこむ腕の
皮膚で身を起こした彼は突きだした目と口で見開いて見た。彼の方へ父が顔を素
早く戻し再び手を伸ばし彼は顔を引いて頭を横に振った。おい、誰がオマエじゃ
ごら、あ、お前誰に飯食わしてもろてる思とんのやごら、あ、あ? 蠢くささやきが
彼の顔の表面を這いまわり、ごめんなさいごめんなさいと滲み出しながら彼は必
死に首を小刻みに振り再び勢いをもって飛ばされる拳に顔を瞑り呼吸を止めた。
衝撃。開いた口を震わせながら淡いコンクリートの色の上へ流れ出る血の咳を延
ばした。立ち上

28 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/06(土) 22:37:14.82 ID:ksF63KD3.net
がり父は帰るぞぼけと言って彼の太ももを蹴り上げた。首筋は擦れ微動さえ困難で歩くのを拒絶す
るように足の筋肉が死滅し肩骨の髄や横腹の緩急、腕の皮膚が痛く後頭部の激痛と腫れを感じさ
せる唇に必死な呼吸の止め止めの吐き出しに顔を歪ませながら彼はよろめきながら立ち上がる。
二度と。掠れて澱んだ声の咳が飛び出して顎の下を垂れた。二度と家に近寄んな滓。担任教師の
押さえられた手の間から流れる血に赤く見上げる顔を横目で見堕として彼は息の切れ目にちぢれ
た喘息の言葉を放った。背後の沈黙にそれを置き去り足を引きずって暗いアスファルトの自転車
へ彼は手をついた。父は木刀を持ったままエンジンのけたたましさを奮い上げた。細く錆びれて振
動するその腕は内在する力の大きさを見せつけていた。

 彼の顔を見て母が絶叫した。
 担任しばいてきたで。破れを広げる唇で笑み彼は妹に言った。布団にくるまった妹は一瞥しただ
けで再び大きく丸まった目の泳ぎを床の上に滑らせた。彼は立ちすくんだ。

 次の日の食卓で昨日の件について父が妹を慰めるようなことを言った。気にすんなよ。妹は黙った
まま小さくうなずいた。妹は学校の勉強を家で自学するようになった。父や母は学校のことは妹に言
わなくなった。妹はたいそう勉強し、本をよく読んだ。彼は妹に頼まれてしばしば図書館へ本を借りに
行った。

29 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/06(土) 22:40:28.36 ID:ksF63KD3.net
 蒼さの生み出る五月の終わり頃ある日の日暮れ、中学校の校長が家に訪れた。玄関に現れた母に向かって年
老いた校長は機微とした憂いの眉に含む柔和な笑みを差し出した。妹の状況を聞く二三のやりとりののち校長は
母の手に紙袋を差し出した。観織さんにプレゼントしておいてください、と校長は言った。小指ほどの木の枝を数
センチ単位で切ったもの、そのそれぞれに二つずつ小さな丸い透明なカプセルと内側に黒い点が転がり、両の目
をあらわしていた。木でできた小さなお手製の人形キーホルダー、二十個ほど紐で繋げられ、動かすたびそれぞ
れの目玉の内部に宿る黒点が転がりをささやいた。共に「ガンバッテネ」と書かれた紙が紙袋に内包されていた。
 彼が帰宅すると父と母が居間のテーブルの電球の下、置かれたそれを睨みながら黙っていた。ガンバッテネ。
小さな目玉とその言葉は、妹の弱く小さく哀れむべきという前提を含む校長の認識構造を父母の元に浮かび上が
らせ、傲慢的な匂いを放つ高位からの憐憫のいやらしさを滲み出させ、可愛らしさを否応なしに誇張して振れる目
玉はまた大沙汰を避けようとする校長の渡世的な保身への意図の顕れをも浮上させていた。父と母は怒ってい
た。明日学校に怒鳴り込みに行くと母は言った。父も行くと言った。みぃを馬鹿にしやがって、馬鹿にするにもほど
がある、と父は言った。ふざけんなよ、と母は言った。妹はずっとテーブルの上を見つめていた。いいよ、アホな
奴はどこまでいってもアホやから、と小さな声で妹は言った。二人は黙った。対象を射るような言葉を妹が放った
ことはそれまで一度もなかった。突き出たそれは父や母や彼に牽制の矢として響く、緊張の沈黙があった。彼に
も不安を漂わせた。後日に母はそれらをゴミ箱に捨てたと言っていた。

30 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/06(土) 22:41:13.66 ID:ksF63KD3.net
 妹はますます読書に励むようであった。曖昧な光の壁をした暗い部屋にて放たれる机上の古い電球
を前にして照らされる横顔が本を見つめ、ときおり素早くめくられる紙の空切りと微動だにしない体の形
は彼にして鬼気迫る暗い深さ、ごくたまに鳴る心臓の恐ろしさを感じさせた。彼は妹の名前を呼ぶ。数
秒の不動が重く迫る。遅れざまふと顔を上げて妹が見る。お兄ちゃん、どうしたん。開放した声が放た
れる。彼は笑って近づく。彼は学校であったことを盛んに話した。妹は興味深そうに聞いた。友人や教
師を紐掛けて通したおもしろ可笑しい悪戯話を夢中になって語った。妹は笑った。また再び妹の新たな
笑いを見たいがために学校で悪戯を繰り返し編み出しているのではないかと思うことがたまにあった。
妹は本で得た内容を彼に聞かせた。彼は目を興味深く開いたままうなずきを繰り返し様々な質問を差
し出した。




 流れゆく揺らぎや流動の渦巻きにひび割れるひずみ、混沌、妹は日々違った面相を見せ、揺れ続
ける。声をひとつも出さずにただ飯を食い部屋に戻る夜があり、笑顔で盛んに話しかけ居間のテレビ
に参加する夜もある。明るさの顔に未来への不安が忍びまた陰る暗さの顔に別面からの楽しさの悦
びが混じりいって声を漏らす、不協和を奏でながら恒常は池に落ちる葉の水に藻石の木琴を響かせ
て静寂と節を作り出す。細い腕の先をはしが震え出しテーブルの上を転がる、押さえた口から嘔吐が
溢れ手指の間を流れ出る。汚れた手を見せ腕で覆う顔のなか妹は泣く。口の端から食べ物の切れを
ぶらさげてはごめんなさいと言い、その背を母にさすられる。彼は歪みを表皮に一時も赦さず、掛ける
ひかえめの笑みをもって匂いを放つ床やテーブルを手に掴む雑巾に染み入らし延ばす。水洗する指
に残るぬめりを見る。布団にくるまり震えて泣く妹、顔を悲しみ不安に掻き乱す母の手がその背をさ
すり続け、屈み込み声を掛け続ける父。現れた彼の目の先、凍えている妹の泣き声、震えている唇、
謝りの言葉、細かに布団の上を這う指。なぜ。なぜ!? 全身の固められ停止した彼の身体に、音
の刻印が心内に咆哮をうつ。彼は妹の背をさする。その体は細く痩せ細りゆき手の感触に骨の線が
浮かぶ。妹の名を呼ぶ。

31 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/06(土) 22:45:58.73 ID:ksF63KD3.net
 夏。
 妹を夜祭りに誘った。濃い蒼に輝く染めの葉や花の散る和服を母が妹に着せた。首筋が浮き出る筋に細く妹は
笑うと目のくぼみに外郭の骨や血管の目立つ。彼は笑い掛けた。妹は笑う。外のアスファルトに敷かれた模糊の
暗い電灯に降り立ちの刻を響かせる。妹の細い線を見る。行こっか。うん。妹の笑み掛けを自転車の後ろに乗せ
、出発した。服の裾の背後に掴まれるを感じるなか夜の頭上に電灯や涼しい風の顔や髪や服の揺らし流すのを見
る。遠く空に弾け音が花火を上げて仰ぎ見る。彼は振り返り妹に話す。妹は笑ってうなずく。横に出される揃えら
れた妹の足の車輪に触れないよう気をつけて真っ直ぐに振動をしずかに長く走り続けた。黒に光り揺れる川沿いの
道に次第の和服や帰路としての小さな子供と家族が歩きなどなどの喧噪が満ち始めた。先を更なる人々の密集
の温度が滲み出ている。暗い壁の横に自転車を止めた。足が疲れたすぐ疲れるもっと歩かなあかんなあ。妹は言
って笑った。歩いた。角を曲がり色とりどりの明るさや笛や太鼓や声の数々と人々の群れがあった。二人の手は
繋いだ。妹の手は小さく細く硬い握りに壊れ落ちそうな思いを含んでいた。空にあるビルの間を花火の大きく遠さ
に散った。見上げてほそのかにのる横顔の色彩に明滅

32 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/06(土) 22:46:45.51 ID:ksF63KD3.net
の後の消光の真面目な余韻が残る。気を掛ける背や密集にしゃがみ込み金魚すくいをし
た。湿りの広がりすぐ破れる妹の手の和紙を見て笑った。彼は妹にやって見せた。妹は
真剣に真似、見つめた顔で赤い転々の泳ぐのへと手を水に染めていった。正しく真っ直
ぐに折りたたまれる和服の足があった。延びる服の裾が水に触れた。彼は声を出して指
をさした。裾を上げ濡れたそれを見て妹は彼に笑い掛けた。彼は自身の腹部からシャツ
を伸ばし遮る妹の手をのけて濡れ衣を拭き妹の笑う顔が上がった。めくられた細さの延
びる腕で妹は金魚に和紙を掛けた。盆に入る一匹の金魚の赤く水面に泳ぐのを見る妹
は笑った。破裂した花火が広がる。音と木霊が混じり合って遠さに響く。手を繋ぎ歩いた。
生の動きが手に感じられた。妹が望み赤く光沢の林檎飴と苺飴を買った。彼は青い林檎
飴を買った。振り返りどっかに座って花火見ながら食べようぜと彼の言って見た妹の顔が
うつろにあたりに泳いでいた。彼は聞く。なんでもないと妹は言う。歩き出す。擦って触れ
合う様々な肩の間に進み様々な祭り音やイカの焼かれる肉の匂いやヨーヨーの色の様
々や足に躙る土の感触、感じながら、止めた呼吸の困難から逃れるように飛び出す妹の
顔と目は様々に揺れ動き一つ一つすべての頭部を確認するかのように動きがそれぞれ
の人間の間を交差して小さな動作から徐々に大きく顕わな錯乱が生じてい

33 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/06(土) 22:47:41.00 ID:ksF63KD3.net
るのを見る。どうした、誰か知ってるやつおったんか。違う。何かを遮断されたように口
元をつまづかせ目を顰めやがてそれは明らかな異形に変化する。どうした、おいみぃ。
妹に歪みがとめどなく溢れ出し瞬きが唇を噛みしめて掴む腕の力が強まって凝固す
る。彼は手を引いて人込みを掻き分ける。木の下の暗部に引き寄せる。覗き込む顔に
引きつった歯と目の明滅が繰り返されている。彼は肩を掴み声を出す。近くに座る家
族連れが興味深く見る。背け顔で帰ろうと妹は言う。なんでや、飴食べながら花火見よ
うや、な。帰ろ、帰ろ、帰ろ。締め付いて吐糸される声に妹は両手でしゃがみ込み顔を
覆う。周囲に人の視線が刺さる。どうしたんやおい、なあ、どうしたん、なあおい、観織、
観織。芯から込み上がり繰り返す声に祭り提灯の火や音の薄まって遠ざかり乳色に
浅い闇空を花火の散りが昇り止まる。

 お兄ちゃんごめんな。と妹は言った。ううん、気にすんな。鈴虫の声と冷房の明るい
閑かな自宅居間電灯の均等のもと、颯爽とした過去を思わせて今はもう空虚な余韻と
化した足の筋肉の疲れが緩和に滲むのを感じながら彼は顔を上げ妹を見る。後ろのテ
ーブルに父と母が黙っている。指の間にすすけた土の墨を見つめる。買った林檎飴
を一緒に食べた。

34 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/06(土) 22:48:43.62 ID:ksF63KD3.net
 精神科のカウンセリングを受けないかと母が言った。妹は拒んだ。でも、と母が言った。私
はちゃんと勉強してるし、体も悪くないし、今は外に出れないだけ。学校の勉強はもう二年の
分全部終わって三年の分やってるし。今は外がちょっと怖いだけ。一生ずっとこのままやっ
ていうわけじゃないと思う。いつか、なんとかなると思う。いつか、って、いつまでひきこもって
いるん、高校はどうするの? と母が言った。高校は、と言い、わからん、と小さい声で妹は
俯いた。体、どんどん痩せてるやん。うん、わかってる、ご飯は、ちゃんと食べるようにするよ。
よくご飯吐くし…。母の目は細みに悲しみをあった。妹は俯いた。お母さんもお父さんも、お兄
ちゃんもみんな、心配してんねんで、な、ちょっと話を聞いてみるだけでも行ってみいひん? 
母は妹を見つめていた。別にすぐ外に出れるようになれっていうわけじゃないんやで、と父が
言った。別に精神科のカウンセリングを受けたからって、頭がおかしいというわけじゃないし、
何も怖がることないねんぞ。妹は黙った。そうそう、別に外に出れるようになるんが目的じゃな
くて、専門の医者に診てもらったら、やっぱりみぃが引きこもった理由とかもちゃんとわかるん
ちゃうかな、と彼は言った。囲んだテーブル面の照りがしばらく黙った。唇をつぐみ妹はテーブ
ルの上をずっと見つめた。電球による光の凡庸が時折の明滅を微雨に流した。ちゃうねん、と
妹は言った。
と妹は言った。
 「ちゃうねん」
 「何が違うの?」と母が言った。

35 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/06(土) 22:50:29.19 ID:ksF63KD3.net
 「ちょっとお母さんこのお茶飲んでみて」妹はテーブルの上のひとつのコップを指さした。一同
はコップの中の透明に氷の崩れたお茶の液体を見た。水滴がその冷たさを教えている。
 「お茶? なんで?」
 「いいから、飲んでみて」
 不思議げな顔をして母はコップを手に取った。顎を上げて口内へ含み飲み下した。喉の音が
動いた。量の少しだけ減らされてコップはテーブルに置かれ水滴が流れた。
 「飲んだよ」明瞭さを増した声が水溜まりに反響した。
 「そう」見つめて妹はそれを言った。そう。顔を上げた。父はそれがどうしたのかと言った。
 「なんで今、お茶を飲んだの」妹が母の顔を見た。え、母の顔が聞き返した。「何が? 何のこと?」
 「だから、今、なんでお母さんはお茶を飲んだん?」
 「なんでって」笑いを含んで突きでた母の顔が妹に聞き返した。「何を言うとるんや」父が言った。彼は妹の顔を見た。
 「いいから、言って」妹の真っ直ぐ母へ見た目を一同は見ていた。
 「みぃが飲んでって言ったから飲んだんやで」
 「そうそこ」素早く妹は言った。「あたしが飲んでっていったから飲んだの? それが原因? あたし
が飲んでって言ったらお母さんは絶対飲むの?」

36 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/06(土) 22:51:32.44 ID:ksF63KD3.net
 「絶対って、そんなことはないよ」
 「じゃぁなんでお母さんはお茶を飲んだの」
 「なんでって、みぃが飲んでって言ったからやろ?」
 「お母さんお茶を今すぐ飲んで」素早く言って妹は乗り出した。母は飲まない。「そこ!」妹は声を
上げる。「ほら、今、お母さん、あたしがお茶飲んでってゆったけど飲まんかったやろ? あたしが
飲んでって頼んだことは理由にならへんねんで、飲んでって言ったこと自体は原因にならへんね
んで。じゃぁお母さんがお茶を飲んだ本当の原因は何?」
 わかった。と彼は声を差し込んだ。みぃに頼まれて、お茶飲もうって思ったから母は飲んだんや
ろ、飲もうと思ったから飲んだんや、そやろ。
 妹は笑んだ。そして身を椅子の背にのせた。
 「ビンゴ! 思った、から? から? あたし今思うよ、お茶飲もうって思うよ」妹は目を閉じた後す
ぐに目を開いた。「今、お茶飲もうってあたし思ったよ、でもお茶飲まんかったよ」一同は黙ったまま
訳が分からない風な顔をして妹を見る。「わかる? 思うってことと、行うってことは繋がってないん
だよ」妹はお茶を手に取ると飲み干す喉を見せる。息を吐いた。生きている息だった。妹は嬉々とし
ている。コップは空になってテーブルに置かれる。彼は見る。今あたしは飲もうって、一言も思って
ないよ、何も思わないうちにお茶を飲んだよ、では、あたしがお茶を飲んだのは何故? みんなに
見せようと思っ

37 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/07(日) 09:30:03.78 ID:icGgnsrR.net
たから? そんなの思ってないよ何も考えてなかった。喉が渇いたから? 喉は渇いて
ないよ。では何? 今さっきその瞬間のあたしを突き動かしていたのは一体何? 何が
原因?」妹は息を吸う間を切って素早く言い続けた。妹は突然手を天井に突き上げた。
「今あたしが手を上げたのは何? なんであたしは手を上げたの? 手を上げようと思
ったから? 思ってないよ。説明しようと思ったから? 思ってないよ」
 「わかった! 説明しようとしたからやろ?」母が言った。
 「説明しようと、したから? したからって何? あたしは説明しようということを行為した
の?」
 「ほんまや、今まで気付かんかった、全く謎や、なんで俺は手を動かしてるんやろ。動
かそうと思ったりしてないのに、動いてる。なんでや!」彼はテーブルの上で手を上下さ
せるのを見続けて言った。父も同じことをした。母も。母は笑って父を見た。
 「なあお父さんなんで?」妹は顔を上げて見る。「わからん」父は苦笑する。「ね、ね、わ
からんやろ、わからんねん」妹は目を細める笑いを上げる。「だからな、原因なんて、あく
まで事後的に人が解釈づけた表面的な言葉でしかないねん、無理に理由付けして納得
した気になってんねん、やろ? だからな、原因結果とか、そんな風に無理にこじつけて
もそれは嘘やねん、もちろん生きていく上での便宜面から考えたらすごい実用性があっ
て役に立つねん、けど、それは本当のことじゃないねん、みんな何となく使ってるけどそ
れに実体はな

38 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/07(日) 09:31:04.38 ID:icGgnsrR.net
いねん」「ほんまや、今まで気付かんかったわ」笑って父は妹を見る。「だからね、精神科医ていうのは医学
部出身でね、だから原因結果に確実な科学性があると信じ切ってるねんそんであたしに色々な原因っぽい
のを決めつけるやろ、ぐちゃぐちゃしてて言葉で決して表せないようなことそう精神っていうもののうやむやさ
をさも本当っぽく見せながらして四角で囲んで機械的に決めつけるねんで、そんなんされたないもんあたし。
んでね、心理療法士ってのは心理学関係出身だから医学部卒の精神科医よりは精神のぐちゃぐちゃしてる
ことをよりよく知ってるからまだ信頼できるんやけどそれもまた何て言うかその精神の混沌性の中に無理に
意味づけをして何かしら社会的適合性の方向へと導こうとするねん、私は」唾を飲み込む。「私は別に変じゃ
ないよ、私が変やったら世界中の人が変や私はただ多数派から逸脱した異端であるだけであって人間性を
欠いてるわけじゃないねんつまりそのような逸脱はあたかもまるで人間性を逸脱したような印象を与えるか
もしれへんけどそれは社会の惰性が生み出した便宜的惰性言語に適合しないというだけでそもそも容易に
言表可能な普通の人の行動が人間存在として正しくてそれに適合しない人は間違っているということじゃな
いんねん。せやから精神科医とか心理療法士の社会適合への方向性は理解できるけどあたしはそれに型
はめされたくないねん、大丈夫」妹は母と父を真っ直ぐに見る。放す言葉を聞いている人間のいることが妹を
高揚させている。「あたしは大丈夫、ちゃんと勉強もするし、もし高校行かれへんくなっても高校の勉強家で
するし、なんとか、いつかちゃんとなろうと思ってる、自殺しよ

39 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/07(日) 09:32:15.51 ID:icGgnsrR.net
うとか、そういうことも絶対にないよ」妹は母を見た。母は真剣にうなずいた。母の姉は二十歳の頃
に自殺している。彼は妹の言ったことを頭で反芻している。
 「みぃは賢いんやな」と父が言った。妹は笑った。「学者とかなるかもしれへんな」母が嬉しげに
言った。「うん、作家に向いてるかもしれへん」と父は言った。「作家か」妹は笑んだ。「何か創作も
の書いてみいや、お兄ちゃん読むで」「ええー」妹は笑った。
 久々の妹のよく笑う声だった。紅潮した頬が丸く光り膨らみが照った。四人は併せてそれに気分
が弾みを受け笑みでそれぞれを見やるつつとしゃべった。




 高校を卒業したら美術の専門学校に行く。と彼は言った。絵が好きだった。放課後最上階美術室
下界からの遠けう声を聞く窓に座り、目を瞑り見て見える流れの動きを把持し白面へ開く目と動く腕
に忘れ、絵具を塗る。空白に青い空が広がり。コンクリートのへこみや土かかる面のささくれ。草の
細さの浮き出て延びる線上を虫が飛びがらくたのゴミに突き刺さる棘に缶の割れた縁。シャツの白
さに窓からの白光に薄まり笑う枕と布団に部屋の直立した無人。褪せて乾いた夏のタイヤにかかる
コオロギすべて音に斜陽の射さり影延ばす黄鉛が。切れ傷に血を誘いのたうつ角に振れ触る岩の
崖垂れ間に紅く、立志した龍が遠雷の咆哮に飛び出して向かった。カンバス上のそれらは見る彼の
胸に常々迎えられた。時折上げる首筋と共に見る窓外の街の家々の遠くから髪を触る風を感じ彼は
胸を熱くさせた。人々に意外がられた。彼は笑った。描いた画布を差し学生服の電車に揺らす持ち
帰り家で広げた。家族は褒めてくれた。美術部顧問が美術大学を薦めてくれた。彼は大学のパン
フレットをもらった。いくつかのそれを毎日眺めた。一人暮らしに憧れた。何よりも遠い場所の与え
る遠けさの感情に熱くなる憧れを抱いた。彼は親に相談した。入学金と学費が高かった。両親は共
働きであった。父と母は承諾した。安心しろ、これくらいの金やったら貯金あるしなんとかなる、と父
は言った。がんばりやと母は言った。彼は歓喜を上げて父母を抱擁した。気色悪いやめろ、笑いな
がら父に殴られて笑った。二人とも大学を出てなかった。高校も出てなかった。息子が大学に行くと
いうことが心の底から嬉しそうだった。妹は笑った。

40 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/07(日) 09:33:07.33 ID:icGgnsrR.net
 彼はカンバスに瞬間を、止められた白面を前にする。周りは閑かになった。まったくに全体は動かなかった。同
時に自身の揺れる髪の線の様、風の感情の微々とした差異遠く突音他者の布切れすすける声までが近々と感じ
られ同時に遠かった。鉛筆は滑る音を流れ走り眼球に微動だを聴さず指が進み続ける。塗りつける油のたび細め
る目に待つ毛の霞に透かしあるいは遠ざけあるいは凝視してその変化、些細なおうとつの揺れ、削るナイフの崩
れ落つつるる震え、混じり合う色の吐息に止めた刹那を瞬間の静止に、閉じ込めて現実は凝訣される。

41 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/07(日) 09:33:45.57 ID:icGgnsrR.net
(未完)



(2009.1.31)推敲なし原文のままyutojiTVにて公開。ちゃんと読み直していないため、日本語が変なところあるかもしれない。

42 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/07(日) 13:04:12.08 ID:zLEoxCX6.net
あなたは、誰?

43 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/07(日) 14:45:04.62 ID:icGgnsrR.net
>>42
yutojiさんの一視聴者です。名前はありません。

44 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/08(月) 02:37:20.19 ID:9D+3pm/V.net
同じく一視聴者。こうしてまた読めるのは嬉しい。

45 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/12(金) 20:31:30.20 ID:JaOsnHpI.net
http://yutoji.tumblr.com/

46 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/06/20(土) 06:49:33.70 ID:8JXa+CSg.net
http://yutoji.tumblr.com/

47 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/08/02(日) 12:49:38.54 ID:G9YC8NSm.net
日本に帰ってきたのか

48 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/08/31(月) 01:14:22.84 ID:NaeMmjpL.net
おおお!!!ありがたい。
遺伝子の香水の方も持ってる人いないだろうか…

49 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/09/05(土) 11:31:50.67 ID:/5V6JGIh.net
こいつ英語上達してトイック何点とか自慢気に書いてたけど、あれ嘘だったのか?
ちょっと英語の得意な中学生レベルじゃねーか
なにが海外では困らないレベルになっただよ
こんな嘘つき野郎だとは思わなかったな

50 :名無しさん@お腹いっぱい。:2015/10/30(金) 15:47:48.53 ID:DrqfJfjq.net
生存確認できただけで嬉しいわ
しかしなんでドワンゴ辞めたのかが気になる

51 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/08(火) 00:14:21.59 ID:KpXgz18d.net
tumblr更新待ってる

52 :名無しさん@お腹いっぱい。:2016/03/17(木) 17:13:42.78 ID:cNiABxBv.net
ゆとじが初音ミクで作った
春よ、来いの替え歌思い出した

53 :名無しさん@お腹いっぱい。:2017/07/14(金) 02:01:52.60 ID:nrBsqkpCP
あげ

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